昨日触れたイギリスの女性科学者マリー・ストープスについては多くのサイトに沢山の情報が盛られている。その一部に、彼女の来日は、ドイツで知り合った日本人植物学者藤井健次郎を追って来たものであるように記すものがあった。森鷗外の舞姫を想起させる。
ロマンスは脇に措くとして、今度は藤井健次郎を検索すると、植物学史上大いに功績のあったらしいことが判った。ウィキペディアには≪藤井健次郎(ふじいけんじろう、1866年11月11日-1952年1月11日)は、日本の植物学者、遺伝学者。1911年、東京帝国大学教授。「遺伝子」の命名者で、細胞核中の染色体のらせん構造を発見。1929年、国際細胞学雑誌「キトロギア」を創刊≫などとある。
さらっと見過ごせないのが、≪染色体のらせん構造≫である。素人の連想だが、≪らせん構造≫と言えば、≪DNAの二重らせん≫と繋がりがあるのか。そもそも≪染色体のらせん構造≫とは何か、ネット検索しても全く要領を得ない。
≪昭和元年、健次郎が60歳のとき、細胞の染色体が螺旋(らせん)構造をしていること、しかもその螺旋は小さな螺旋がさらに大きな螺旋となった「染色体二重螺旋構造」であることを発表し、染色体の構造を予想しました。後に電子顕微鏡の発明により、この構造は確認されました≫との記述もある(金沢ふるさと偉人館 http://www.kanazawa-museum.jp/ijin/about/index.html)。
この≪小さな螺旋がさらに大きな螺旋となった≫との書き振りからすれば、「染色体二重螺旋構造」は、平行する二本の鎖がそのまま螺旋状に捩れているというDNAの構造とは別物である。
「染色体二重螺旋構造」が発表されたという≪昭和元年≫は1926年であり、有名な≪DNAの二重らせん≫モデルが、女性科学者ロザリンド・フランクリンの研究成果を盗んだワトソンとクリックによって提唱されたのは1953年となっている。彼女の撮ったDNA結晶のX線回折写真が二重らせんモデルを示唆したそうだが、藤井の「二重螺旋構造」予想がヒントになった可能性は無いか。