昨日2016/12/9付日本経済新聞朝刊の文化欄(p.40)に面白そうな記事があった:
≪オペラ 原語上演事始め 藤原歌劇団「トスカ」、戦後初のイタリア語公演で主演 桑原瑛子
関東大震災の年(1923年)に生まれた私が東京音楽学校(現在の東京芸術大学)で声楽を学んでいたころ、日本は戦時下で、男子学生と女子学生はおしゃべりすることさえ禁じられていた。
1958年の「トスカ」での筆者(左)
そんな時代に男女の愛を歌うオペラの勉強を満足にできるはずがない。アリア(独唱)のレッスンはあったが、男性とのデュエットはできなかった。なのに終戦後の48年、藤原歌劇団を率いる藤原義江さんに「ドン・ジョヴァンニ」(本邦初演・帝劇)のドンナ・アンナの役を頼まれオペラデビューした。
さらに50年代にイタリアに留学。58年の藤原歌劇団による「トスカ」で主役を歌った。これが戦後日本人による初の本格的な原語(イタリア語)上演だったと思う。50年代前半までは、国内では日本語に訳して歌うオペラが普通だったのだ。
58年の「トスカ」はいわば戦後日本のオペラ史の「原語上演事始め」。当時を覚えている人が少なくなった今、私の想(おも)い出をお話ししたい。~
今も時折、日本人歌手によるオペラを見に行くが、特に男性が素晴らしい。世界に通用する歌手がたくさん出てきた。自信を持って羽ばたいていってほしい。(くわばら・えいこ=ソプラノ歌手)≫
読み終わった後、じわじわと既視感(デジャヴュ)が募って来た。筆者名「桑原瑛子」が懐かしみを以って脳内を揺曳する。確かに以前目にしたお名前に思われてきた。だとすれば、当ブログに既出なのではないかと検索した結果、4年半前の記事のタイトルに“発見”した(石川啄木「初恋」~越谷達之助~ソプラノ桑原瑛子 2012/5/28(月))。
そんな記事を書いたことなどすっかり忘却の彼方だった。その時、女史が御存命であるとは恐らく認識しなかったと思う。いま計算すれば、御年93歳だ。壮健で長命の女性歌手への讃嘆を何度か洩らしたと記憶するが、この桑原さんはその頂点に位置するのではないか。