今朝のウェブニュースで他愛の無い話題が取り上げられていた:
≪「J―PHONE」の看板、なんでまだあるの?沖縄市、全国唯一? 沖縄タイムス 12/4(日) 6:00 ~「J―PHONE(ジェイ・フォン)」と斜体で書かれた青色のパネル。携帯が普及し始めた頃を知る人からは「懐かしい」の声が上がる~の広報担当者は「以前の看板が残っているのは全国的にも珍しい」と驚いて~≫
当方の初代携帯電話がJ―PHONE社のものだった。同社幹部だった知人のよしみで13年前に買い、その後まもなく社名変更になったのが印象に残る。附属カメラの性能が劣悪だったが、ブログ投稿には役立った。今でも机の上のどこかで埃を被っている筈だ。
そのJ―PHONEの看板だが、つい最近バスの窓から目撃した記憶がある。都区内、それも当方の徘徊する範囲内だから、せいぜい山手線を少々はみ出たほどのところの筈だ。動体視力には全く自信が無いので、正確にJ―PHONEだったとは言い切れないが。
広報担当者が言うように「以前の看板が残っているのは全国的にも珍しい」とすれば、≪沖縄市、全国唯一≫ではなく、他にも事例があるのだろうから、当方の目撃記憶もあながち見間違いではないかも知れない。
古い看板と言えば、数年前まで近所に「住宅公団」の表示が残っていた。ウィキペディアを見ると、“1981年10月1日住宅・都市整備公団”とあるから、消滅後約三十年間も公的名称の表示が残っていたいたのだ。