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Channel: 愛唱会きらくジャーナル
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国道45号線 ~ 僧・牧庵鞭牛 ~ 青春のひとコマ

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他人様の書き物に便乗してばかりでは気が引けるが、もう一つ、駆け出し社会人時代を思い出させる新聞記事に遭遇したので、記録しておきたい:

 イメージ 1道を啓いた僧・鞭牛 2016/10/12付日本経済新聞 夕刊

 ≪東北の三陸沿岸に国道45号線という道路がある。仙台から八戸までの約500キロメートルを、リアス式海岸に沿って走る基幹道だ~東日本大震災による津波災害のとき、大きな被害を受けた。
宮古市の国道45号線にまつわる歴史を調べていて、一人の禅僧の逸話を知って興味を抱いた。僧の名は牧庵鞭牛(ぼくあんべんぎゅう)~今は「国道45号線」と呼ばれる道のそこかしこで、道路の開削を行ったとされる人だった。
 
 かつて三陸沿岸や沿岸部に向かう川沿いの道は、切り立った危険な箇所が多かった。~また、崖沿いの険路は普段の流通路であると同時に、飢饉(ききん)や洪水時にはまさに「命の道」となったはずだった。~
 
 鞭牛は、そうした難所の改修にときにたった一人で着手した。『三陸街道と浜街道』という本によれば、硬い岩には薪を焚(た)いて熱してから冷水をかけ、脆(もろ)くなったところに鑿(のみ)を振って道を啓(ひら)いた。
 
 途方もなく時間のかかる作業であっただろう。だが、彼の覚悟には並々ならぬものがあり、最初は奇妙な僧の愚かな行為だと笑っていた住民も、次第に心を打たれて工事を手伝い始めた――。
 
 鞭牛の逸話はまさに東北版『恩讐の彼方に』であり、「青の洞門」の禅海を彷彿(ほうふつ)とさせた。鞭牛は工事が終わると、これまで道なきために命を落とした人々の供養塔を建て、次なる難所へ向かったそうだ。~(稲泉連)≫
 
かれこれ半世紀近く前、1960年代後半のある年、東北地方に出張し、訪れた主要な現場が国道45号線だった。リアス海岸に沿てどこまでも紆余曲折する片側1車線道路、舗装も全線には行き亘っていなかったように記憶するが、実際はどうだったか。
 
当時は、道路の線形改良に力を注いでいたと思う。陸地に深く切れ込んだ入江を橋梁架設で跨ぎ、短絡するなどだ。その原道となる道を牧庵鞭牛さんが江戸時代に素手で開鑿していたなどという話は聞いた覚えも無い。聞く余裕が無かったのだろう。

イメージ 2
 













上記記事筆者の言うように、鞭牛の事績を聞けば、誰でも“青の洞門”(主役は僧・禅海)を連想するだろう。禅海と鞭牛を時間軸に並べて見ると、前者が二十年ほど先行しているものの、ほぼ同時代で、両者の“開鑿”事業の長さもほぼ同じ三十年程度と判る。
 

禅海(16911774)1730年頃、青の洞門掘削を始め、1763年に完成(ウィキペディア)

鞭牛(17101782)73歳まで約30年間つるはしを握り、道路を開鑿(宮古市教育委員会生涯学習課)

 
経済成長と持ちつ持たれつの国土開発、インフラ整備により、今や全国の道路事情は驚異的に改善され、車が砂ほこりを巻き上げながら、あるいは、でこぼこ道を右に左にハンドルを切りながら走る様など、想像もできない。
 
自分の生きた時間の長さに思いが飛ぶ≪道を啓いた僧・鞭牛≫のお話だった。

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