日本人科学者へのノーベル賞授与で祝賀ムードに包まれているとき、ふと思い出した記事がある。名古屋大学理学部の広報誌『理』第30号(spring-summer 2016)に載っていた≪理のエッセイ わが師・塚原仲晃≫(小田洋一・名誉教授)である。
塚原仲晃について、安直ながら、ウィキペディアから引用する:
≪塚原仲晃(つかはらなかあきら、1933年11月11日- 1985年8月12日)は、日本の医学者・大脳生理学者・脳神経学者。大阪大学基礎工学部教授。医学博士。
36歳で大阪大学教授に就任。シナプス、記憶に関する研究においては世界をリードしていたとの評価もある。当時の日本を代表する脳神経学者の一人でもあった。
1986年から開始予定であった文部省特定研究「脳の可塑性」の責任者であったが、同研究に関する文部省との打ち合わせのため上京し、その帰途において乗り合わせた羽田空港発大阪空港行の日本航空機が群馬県多野郡上野村の山中に墜落、死亡した(日本航空123便墜落事故)。51歳没。
現在では塚原仲晃記念賞にその名前を残している。≫
頭記エッセイによれば、“塚原は~脳が損傷するとそれを補償する新しいシナプスが形成される「シナプス新生」を見出し、世界の注目を集めた。~シナプス同定の手法が画期的だった。~「シナプス新生」は、その後、学習でも起こることが示され、記憶を形成するメカニズムとして確立した。~日本の生理学が哺乳動物一辺倒の医学志向であった中で、塚原は、鳥の歌学習や刷り込み~など、行動学なども含めた広い視野を持っていた。~研究の絶頂期、1985年8月12日日航機墜落事故で突然亡くなった。51歳であった。~数学、システム学、生理学、分子生物学、行動学、生態学など幅広い研究に精通し、それを自分の研究に取り込んだ研究者が国際的にも極めてまれであったことを~痛感している。”
御存命ならば82歳、失われた30年間にあり得た業績は、まさにノーベル賞級ではなかろうかと想像される。
それにしても、例の日航機墜落事故で亡くなった有名人と言えば、坂本九しか知らなかったことが、気恥ずかしい。