今週土曜8日に行われる文京区勤労福祉会館の“勤福祭”に参加するための調べものの中で、(当管理人的には)面白い事実に気が付いた。
大概の自治体は各団体歌を持っている。文京区歌は1951年に制定されている。作詞を佐藤春夫に、作曲を弘田龍太郎に、それぞれ委嘱したもので、合唱版は、山田年秋の編曲になるそうだ。佐藤、弘田は、今さら解説を要しない大物だが、山田はよく判らない人物だ。
佐藤は長年区内に住居を構えており、名高い詩人であり、校歌など団体歌の作詞も手掛けていた。彼の作詞は次の通りで、自治体歌としては、相当に風変わりのように思われる:
① ああ大江戸のむかしより ②今新時代の朝未明
ここは学びの土地にして 自由民主の鐘の音に
紅の塵ちかけれど 人は巷に迷へども
緑の丘はしづかなり 我等が隣安らへり
書よむ窓の多なれば もの知る人の多なれば
家おのづから品位あり 町おのづから平和あり
都は文化の中心地 都は文化の中心地
わが区は都の文京区 わが区は都の文京区
“自由民主の鐘の音に 人は巷に迷へども”などは、単純に、政治的中立の原則に反するとも言われかねない。逆に、穏やかならざる現在の政治情勢を言い当てているようにも取れる。
さて、面白いと記したのは、先ず、作詞・作曲者が、共に1892年の生れであるということだ。区が委嘱先選定に当たって生年を揃えたということは無いだろう。
次に、佐藤の没年だが、1964年である。先の東京オリンピックの開催年だ。詳しくは5月6日で、オリンピック開催前である。佐藤は、オリンピック東京大会讃歌を作詞していたのだ(オリンピック狂騒曲~螢の光~つくしのきわみ みちのおく 2012/7/21(土))。
讃歌はA,Bの2曲あり、佐藤はAの方を作詞した(作曲は清水脩)。もうひとつの讃歌、Bの方は、西條八十の作詞だった(作曲は小倉朗)。両讃歌の詩の内容から、Aは開会式に、Bは閉会式に演奏されたものと思われる。
面白いのは、西條もまた1892年生まれだということだ。佐藤よりも長生きし、オリンピック讃歌も無事聴いたはずだ。
なお、弘田は、文京区歌制定の翌1952年に亡くなった。佐藤とのコンビで「日本の母を頌ふ」を作曲したそうだ。“国民頌歌”として1943年にレコードが発売されているらしい。
“国民頌歌”とは何か、不明である。レコード会社が販売促進のために、任意に命名したものか。