ジェラルド・ムーアは「伴奏者の発言」(TheUnashamed Accompanist(恥知らずの伴奏者) 1944)で移調について興味深いことを述べている。伴奏ピアニストとしてのムーアの言う移調とは、見ている楽譜の調とは異なる調で弾くことを意味している。
素人考えでは、これは恐ろしく困難な仕事である筈だが、彼によれば、一般論として、訓練を積んだピアニストにとっては特別に困難ではないらしい。当方が偶々実際に見聞した伴奏ピアニスト(プロではなかったが)も、突然の移調注文に応えていた。
因みに、我々素人歌手にとっては,移調など全く障害にはならない。そもそも、絶対音感を持たないから、調号など有っても無くても気にしない。移動ド唱法で融通無碍に歌うだけだから。
しかし、ムーアは、ある種の移調は技術的には非常に弾きにくいことがあると言う。例えば、シューベルトの Liebesbotschaft (愛のたより)は原調が高声用のト長調であるが、低い変ホ長調の楽譜もある。楽譜が既に移調済みだからといって伴奏者が楽になる訳ではない。原調のように柔らかく滑らかに弾けるだろうかと疑問を呈している。
聴衆には、訳が判らないまま、小川が急流となり、雷のような音を立て、波立ち、岩に砕けているように聞こえるだろうと言う。運指が難しくなっているのだそうだ。実際にピアノを弾く立場でなければ気の付かない技術的な事柄だ。
移調に関連して、調の性質と伴奏への影響についても素人には想像できない問題が有ることを述べている。ムーアの体験談として、ラフマニノフのSpring Waters (春の水) を二晩続けて伴奏した時のことである。
第一夜はソプラノの為に原調で、第二夜はアルトの為に低い調で弾いた。両方を聴いた友人が、第二夜の演奏は歌のきらめきと光輝が不思議なほど失われていたと感想を漏らした。アルトの歌唱自体は素晴らしい出来栄えだったので、責任は伴奏にあった。つまり、伴奏を工夫すべきところ、第一夜と同じ様に弾いたのであった。
また、高低逆の場合もあると言う。ブラームスのFeldeinsamkeit (野にひとりありて)を高く移調して演奏する場合には、原調の朗々たる響きと深みを失わないように工夫しなければならないと。