あるデータに≪恩地孝四郎年譜 1935(昭和10)年44歳。4月 童話歌劇小曲集「ゆめ」(新生堂)を刊行。作曲は恩地(ペンネーム「小代尚志」)の他、弘田龍太郎、服部龍太郎が担当。≫とあった。恩地孝四郎という画家がいた、という程度の知識はあった。それ以上は何も知らなかった。
弘田龍太郎の名が目に付き、興味を持った。また、画家が作曲もしていたと言われると、齋藤佳三を思い出す。更に検索したところ、“花月園少女歌劇のために書き下ろした戯曲集「ゆめ : 童話歌劇小曲集」”なる情報が得られた。
つまり、画家・恩地孝四郎は、少女歌劇のために戯曲を書き、曲も自分で付けていたということで、今度はワーグナーを髣髴させる。
童話歌劇小曲集「ゆめ」:
ゆめ 作曲:小代尚志
森 同
太陽 同
時 同
蝶の墓 同
きりぎりす 作曲:服部龍太郎
失くなった? 作曲:小代尚志
さいはひ 作曲:弘田龍太郎
演出覚書
舞台装置図
扮装図
楽譜(別丁)
楽譜(全80ページ)は美しい手描きである。ひょっとして恩地の作業だろうか。それほどヒマでもないか。所収8編は大正12年から14年の間に“当時隆盛に向かっていた花月園童話歌劇のために書いたもので、すべて実演されたものであり、「さいはひ」(は)日比谷公会堂で多数の観衆の前で演ぜられた”そうである。
≪花月園少女歌劇≫からは、金沢市に昔あったという≪粟ヶ崎遊園地≫を思い出す。やはり宝塚に倣った舞台演技があったそうだ。