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Channel: 愛唱会きらくジャーナル
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安藤まり子「毬藻の歌」~ 水面(みずも)をわたる ~ 水(みず)水(みず)水(みず)

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いわせひろし/八洲秀章「毬藻の歌」を初めて聞いてから約半世紀、歌詞はうろ覚えながらも、出だしは“みなもをわたる~”とばかり思っていた。ところが、つい最近、楽譜を見たら、何と“水面(みずも)をわたる~”と態々カナが振られていた。
 
例によって、編集者が生半可な知識で誤読に誘導しているのだなと思った。しかし、念の為、検索を掛けたところ、原作者が“水面(みずも)”と指示したと言うではないか。以後、皆さん律儀に“みずもをわたる~”と歌い続けているとのことだ。
 
創作の世界だから、何でも許されるとの考え方はあるだろう。しかし、物事には限度がある。定量的に定義できる話ではないが、先ず常識的に許容できるかどうかだ。水面は“みなも”か“すいめん”と読むのが常識だ。
 
その常識を、この歌の場合には忘れろと言うのなら、何がしかの説明があって然るべきだと思う。説明はあるが当方が知らないだけなのかな。多分そうだろう。何処を捜せば見つかるだろうか。
 
別の可能性も排除できない。原作者が間違えたという単純なケースだ。しかし、歌詞が関係者に配付される際に、“水面(みずも)”が話題にならない筈は無いから、その蓋然性は低いと考えざるを得ない。やはり、常識に反して“水面(みずも)”を押し出したものと見てよさそうだ。
 

思い付いたのだが、歌詞第2節に“晴れれば浮かぶ 水の上 曇れば沈む 水の底”とある。ここの水は“みず”だ。水面の“水”も“みず”と読ませて統一を図ったのかも知れない。

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