ムーア「お耳ざわりですか」を読んでいて、彼が若い頃一家そろってカナダに移住した(後に彼はイギリスに戻ってピアニストとして出世)ことなど、カナダとの係わり合いが記されているので、同じピアニストとして有名なカナダ人グレン・グールドとは接触が無かったのか気になった。
当方、ピアノに関してはズブの素人だが、言葉遊びの延長でグールドを一度話題にしたことがある(グルダとグールド~好対照?~偶然か故意か 2013/10/9(水))。ムーアとグールドの生没データを並べると:
ジェラルド・ムーア Gerald Moore 1899年7月30日- 1987年3月13日
グレン・グールド Glenn H.Gould 1932年9月25日- 1982年10月4日
グールドが生れた頃には、ムーアは既に一流の伴奏ピアニストとして名声を博していた。そして、大戦後の1948年、49年と続けてトロントの王立音楽院に招かれ、夏の講座を受け持った。グールドはその音楽院を46年に卒業し、47年に初リサイタルを行い、国内で高い評価を得ていた。(ウィキペディア)
伴奏ピアニストとソロ・ピアニストとの違いもあり、二人には接点はなかったのだろう。しかし、ムーアは「お耳ざわりですか」において、グールドに言及している。
この本(Am I Too Loud?)は1962年に出版されている。その頃にはグールドは世界的な名声を確立していた。
ムーアは、大戦後のカナダ・トロント旅行を後年追想して著述するに際し、同地方出身の名ピアニスト・グールドに言及しているのである:≪おそらく遠い将来、グレン・グールドが生活し、仕事をした家を訪れるために、ここには聖地巡礼の人々が大勢やってくることだろう。≫
≪二百マイルという広範囲に、グールドのチッカリングを除けば、ピアノはただの一台もなかった。≫とも記している。“チッカリング”がピアノを指していることを覚るのに少し時間を要した。
ネット検索で、Chickeringは≪アメリカで最も古く、近代のピアノを作り上げた歴史あるピアノメーカーである≫と知った。しかも、今ではグールドとの関係で語られることが多いらしい。これだけでも相当のお話を綴るに足るようだ。当方の迷い込む領域ではないが。