一般に「終戦(又は、敗戦)記念日」と呼ばれる8月15日、その由来は、1945(昭和20)年8月15日正午の所謂≪玉音放送≫で一般国民に日本降伏を公表したこと、などと今更書くまでも無い。
しかし、考えてみれば、降伏の意思はその前に連合国側に通知されている訳で、それが8月14日(日本時間)だったそうだから、こちらの方が記念日に相応しいように思われる。
それでも、15日終戦(又は、敗戦)の意識が強固であるのは、“慣らされた”こともあるが、天皇(の儀式、行為)の権威が依然として圧倒的に大きいことがあるのだろう。
ウィキペディアには次のようにまとめられている:
≪日本において第二次世界大戦(太平洋戦争(大東亜戦争))が終結したとされる日については諸説あり、主なものは以下のとおりである。
- 1945年(昭和20年)8月14日:日本政府が、ポツダム宣言の受諾を連合国各国に通告した日
- 1945年(昭和20年)8月15日:玉音放送により、日本の降伏が国民に公表された日
- 1945年(昭和20年)9月2日:日本政府が、ポツダム宣言の履行等を定めた降伏文書(休戦協定)に調印した日
- 1952年(昭和27年)4月28日:日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)の発効により、国際法上、連合国各国(ソ連等共産主義諸国を除く)と日本の戦争状態が終結した日≫
その後、連合国による占領の下、平和日本の建設へと舵を切り、基本的姿勢は憲法改正、すなわち現行憲法の公布(1946.11.3)・施行(1947.5.3)で固まることになった。当欄に於いては、この新憲法制定を記念する歌について度々触れて来たところであるが、意外にも、お堅い法律専門出版社のPR誌に「新憲法祝賀レコード」の話が載った。
有斐閣≪書斎の窓 No.646, 2016年7月号≫の「連載 日本国憲法のお誕生 第2回」、執筆者は江橋崇氏である。次の4小項目に分けられている:
祝賀歌曲「われらの日本」 ![イメージ 1]()
「憲法音頭」と盆踊り
「君が代」に代わる新国歌案
新憲法祝賀県民歌
“「われらの日本」は旧国歌「君が代」に代わる国民皆唱歌として企画されたもので”とあるのに驚いた。人前で何回も歌い、簡単な解説も厭わなかった当方であるが、“国民皆唱歌として企画された”とは知らなかった。憲法普及会の原資料などに直接当たっていなかったが故の無知と反省する。≪新憲法施行記念國民歌≫と銘打たれていた裏には、大それた願望があったのだ。