先日、バス待ちしていたら、都知事選某候補の車が通り過ぎた。誰かが前左席(助手席と言うのかな)から身を乗り出すようにして手を振っていた。前後の車と同じスピードで疾走していた。移動販売車のようにのんびり走りながら連呼するスタイルは古くなったのか。それとも、広域選挙だから、期間内にせいぜい走行距離を稼ごうということか。勿論、候補者としての政策の訴えなど皆無、“○○でございます。よろしく”ぐらいだ。
選挙カーは廃止したらどうかと思う。運動は戸別訪問、街頭演説、公開討論会、政見放送、はがき、インタネットなど奨励し、公設ポスター掲示板も廃止したらどうか。政府自治体の予算節約になるし、環境保護にも資するのではないか。
選挙の歌は戦前、1935年前後に政府の肝煎りで何曲か作られたようだが、その歌詞はネット検索では見付けられなかった。たまたま北原白秋詩・山田耕筰曲「選挙粛正の歌」と「選ぼうよみんな」だけは楽譜を入手しているので、折角だから記録しておこう:
選挙粛正の歌
あおげよ しんめい ちかえよ けんせい こうこくにほんは
ひとしくたつべし せんきょは ひとなり てっせよ しんねん
とうぜよ いっぴょう いざ わがせきしん
選ぼうよみんな
えらぼうよ みんな ただしいひとを いつでてみても あおぞらたかい
そろってそろって このみちゆけば ひとえざくらに ひがひかる
ひとえざくらに ひがひかる
前者にある「けんせい」は勿論「憲政」のことだが、最近はあまり耳にしない。憲政記念館という建物が永田町にあるが、一般人には馴染みが無いだろう。「憲政」は、恐らく「立憲政治」の略だろう。文字通り、憲法に基づく政治と解釈される。
憲法学の権威、樋口陽一氏が某講演会で“日本近代化のあゆみと<立憲政治>”を語っている(NU7 2016.07 No.6)。その一節≪大正デモクラシーと「憲政の常道」≫は天皇機関説が主題なのだが、護憲、議院内閣制が語られ、1924~1932年の8年間が立憲政治の到達点だと述べている。
行間を読むと、戦前戦後を通じての到達点であるとのお気持ちのようだ。上記8年間は、「選挙の結果、衆議院の第一党の党首が組閣し、議会の支持を失えば交代するという慣行が成立し、立憲政友会と立憲民政党の二大政党の時代」だったという。
五.一五事件で犬養首相が暗殺され、政党政治が終焉を迎えた1932年の後に官製の選挙粛正運動が組織され、キャンペーン・ソングが作られたことを思うと、立派な歌詞にも拘らず、その運動に憲政推進の意図を素直に汲み取ることが出来ない。
とは言うものの、神国日本主義の溢れる「選挙粛正の歌」は論外として、「選ぼうよみんな」の方は今でも立派に通用する歌詞だと思う。児童向けの言葉づかいのようだが、意味するところは意外に奥深く、含蓄に富む歌詞のようだ。
ところで、この度の都知事選挙には、「支持候補なし」という名前の候補者はいないようだ。先の参議院選挙では「支持政党なし」が数十万票を獲得したのだから、早速摸倣するハシッコイ人がいても不思議ではないと思ったのだが。候補者名は本名でなければならないのかな。通称の使用も認められていると思うが、首長選では事情が異なるのかな。