外出したついでに新宿文化センターで行われている東京都合唱祭を覗いて来た。この行事は、以前、上野で開催していなかったかな、勘違いかな。資料によれば、今週土・日と来週土・日・月の5日間に亘るそうで、合唱団の叢生を象徴する巨大祭事だ。
(参加料:出演者1名につき2,300円。但し、連盟非加盟団体については1名につき2,800円。※負担の不公平を少なくするため、15名以下の団体については参加料15名分までの費用負担をお願いします。)当会はお呼びじゃないようだ。
短時間にたまたま聴いた団体の演奏は様々だが、オーソドックスなものは少なかった。意味の無い擬音を多用し、音の技巧を誇示する傾向がある。聴いていても意味不明だし、不協和音や無気音をやたら聴かされても楽しくない。講評の先生方は褒めちぎっていたが、社交辞令ではなく、本音なのかなあ。
演技はほどほどに取り入れられている感じだった。皆さん、芸達者なのには感心する。とても真似できない。勿論、それがサマになる人達がやっているということだ。技術的には並み以上の水準の団体が出場しているようだ。来週も、元気があったら覗きに行こう。
先日読み終えたデビッド・S.リッチェソン「世界で二番目に美しい数式」(根上生也訳)下巻に、気になる記述があった。物理の世界で今でも絶対温度単位のK(ケルヴィン)で知られるウィリアム・トムソン(William Thomson、1824年6月26日- 1907年12月17日、ケルヴィン卿)が次のような主張をしていたというのだ:
“原子はエーテルの中の渦もしくは結び目で構成されている。”(1867年)
“各原子は様々な結び目やいくつもの結び目が絡んだものに対応しており、原子の安定性は、トポロジー的な変形を加えたときの結び目の安定性に依存している。”(20年間信じられた。)
剛体的粒子としての原子を想定する近代的な原子論が確立する前(1867年といえば、徳川将軍のいわゆる大政奉還の年である。)に、このような動態的な(非物質的な)原子概念を提唱した有力科学者がいたとは知らなかった。
用語の連想によるのだが、素粒子論の最先端にあると思われる「ひも理論」に通じるではないか。百年の時を経て復活したのか。尤も、厳密な理論の連続性ではなく、イメージ的な概念のレヴェルではあるが。