先月来話題の万能細胞STAPを世に知らしめた論文の写真が不自然であるとの疑惑が浮上して、何やら怪しげな雰囲気になっている。当事者は、添付写真の取り違えなど事務的なミスと考えているようだが、最も恐れるのは、論文の内容が根拠を欠くという事態であることは言うまでも無い。
常識的には、論文発表後直ちに世界中で追試が始まり、“世紀の大発見(発明?)”の真贋が明らかになるのだから、意図的な論文捏造はあり得ないだろう。
あるとすれば、研究作業の厳格な管理が為されず、試料が混ざりもので汚染され、研究結果の正確性が失われている可能性だろう。部外者の判断領域ではない。
それにしても、論文査読の段階で写真の不自然さが指摘されなかったのは不思議だ。写真自体は余り重要ではないということか。
“写真が不自然”という話題に接して、約半世紀前の苦い経験を思い出した。組織の新米職員として、別グループのある提案を審査するよう命じられ、一所懸命に提案資料の内容を吟味した。その結果、厖大な資料の中に“不自然な”証拠写真があるとの結論に達した。
提案の当否は写真だけで決まるものではないのだが、第三者が理屈抜きで納得できる資料であるから、極めて重要なものである。
提案を審議する委員会で極く正直に“写真疑惑”を開陳したところ、提案グループの長の怒りを買った。疑惑指摘のショックを和らげるための善意のコメントを逆手に取られて、“要らぬことを喋るな”と罵倒された。
こうなると、論理の対決とはいかず、地位の上下がモノを言う。その時代の組織における行儀作法を弁えていないための失敗だった。