明23日、安倍首相が沖縄全戦没者追悼式に出席するという:
≪毎年、6月23日は「慰霊の日」です。県では、糸満市摩文仁の平和祈念公園にて「平成28年沖縄全戦没者追悼式」を開催します。 主催 沖縄県、沖縄県議会≫
沖縄での日米による地上戦の終結はピンポイントでは定義できないが、沖縄守備軍の最高指揮官が1945年6月23日に自決したとされることから、この日を以って両軍の組織的戦闘が終結したと見做すようである。沖縄県の「慰霊の日」もこれに因むと思われる。
従軍看護婦として動員された女学生の「ひめゆり学徒隊」などは、それより前に悲惨な状況を迎えていたようである。さらに、その後も犠牲を増やしていたと言われる。徹底抗戦が叫ばれていたほか、皇民教育でマインドコントロールされていたことが禍した面もあるだろう。
ところで、新聞等を通じて、“女子供も竹やり、鉈などを以って敵に切り込みを掛けよ”などと全住民を戦闘に駆り立てる守備軍の幹部がいたかと思えば、出来るだけ多くの住民を比較的安全な地域へ避難(疎開)させようと努力した民政幹部もいたという:
≪沖縄戦で住民守った警察幹部、故郷・栃木で功績に脚光
太平洋戦争末期、沖縄県警察部長(現在の県警本部長)として住民の疎開を進めた荒井退造の功績に光をあてる動きが故郷の栃木県で広がっている。戦時下に生きる大切さを説き「島守」と呼ばれている退造。関係者は「責任感や平和への思いなど学ぶ点は多い」と話す。
活動に取り組む宇都宮市のNPO法人「菜の花街道」によると、同市出身の退造は1943年、沖縄県警察部長に就任。県幹部や県民が疎開に消極的な中、住民説明会を開くなどして避難の必要性を訴えた。20万人超を県内外へ逃がした。
地上戦が激化すると、米軍に見つかったら投降するよう住民らに話した。45年6月23日に沖縄で組織的戦闘が終結した後、一緒に疎開を進めた島田叡知事と糸満市で消息を絶った。遺骨は見つかっておらず、命日は6月26日とされる。 (日経2016/6/21 11:44)≫
≪大東亜戦争末期、戦場となった沖縄で、一人でも多くの県民を助けようと苦闘し、県民から島守(しまもり)として讃えられた二人の官僚がいた。沖縄県知事・島田叡(あきら)と警察部長・荒井退造(たいぞう)である。
二人は20万人の県民を県外、および県内北部の安全地域に疎開させた。当時の60万県民の三人に一人はこの疎開によって、命を救われたと言える。
しかも、沖縄戦の直前、本土に逃げ帰った同僚部長もいるなかで、荒井は警察部長として県民疎開の陣頭指揮をとり、島田に至っては米軍攻撃のわずか2カ月前に、死を覚悟して県知事として沖縄に乗り込んだのである。(転送歓迎 H22.06.06 国際派日本人養成講座)≫