先日、日経夕刊に信じられないような記事を見付けた:
その昔、アメリカのレコード会社ビクターの赤盤なる規格は、スター演奏家だけのステイタス・シンボルだった。カルーソーやクライスラーという錚々・・・・・日経夕刊 2016/6/8付≫
(超絶)音痴でありながら、一流歌手に伍して“名盤レコード”を残すことなど出来るのか、不思議に思って改めて検索してみた。事実だったようだ。少し長いがウィキペディアから引用する:
≪フローレンス・フォスター・ジェンキンス(Florence Foster Jenkins、1868年7月19日- 1944年11月26日)は、米国のソプラノ歌手。歌唱能力が完全に欠落していたことで有名である。
~ジェンキンスは音程とリズムに関する感性がほとんどなく、極めて限られた声域しか持たず、一音たりとも持続的に発声できないこと~がわかる。にもかかわらず、彼女はその型破りな歌いぶりで大変な人気を博した。聴衆が愛したのは音楽的能力ではなく、彼女の提供した楽しみであった。音楽批評家たちは、しばしば彼女の歌唱を皮肉まじりに説明し、それがかえって大衆の好奇心を煽る結果となった。
~、彼女は批判に気付いており、「皆さん私が歌えないとおっしゃいますが、私が歌わなかったといった人はいませんわ」などと述べた。
~彼女のリサイタルに出席できたのは、彼女の忠実なファンクラブの婦人とその他特に選ばれた人々だけであった。彼女は羨望の種であった切符を自ら配布していたのである。1944年10月25日、76歳の彼女はついに公衆の希望に応じてカーネギー・ホールの舞台に立った。期待が高かったため、切符は公演の何週間も前に売り切れた。~≫(ウィキペディア)
こんなことが、かつてはあり得たのだ。昔は良かったのだなあ、と嘆息するのみ。
彼女は人々に笑いの種を提供していたのか。人々は、ある種の優越感を味わって、満足していたのではないか。これ以上コメントのしようも無い。
ネット上に彼女の音源がアップされているので聴いてみた。期待を裏切らない超絶ぶりだ。不思議に退屈しない。癒しの歌声?