明治大正期の月刊誌≪音楽界≫誌上でかなりの存在感を示していた高折周一が、ポトマック、ハドソン両河の桜植樹式典(1912年)において自身の編曲になる「さくら、さくら」を指揮・演奏したのか否か(ニューヨーク・ハドソン川~サクラ植樹祭1912~「さくら、さくら」演奏 2016/4/15(金))、アクセス容易な資料で確認する努力を続けているのだが、未だ要領を得ない。
不思議なことに、高折自身が≪音楽界≫誌において植樹式典に一言も触れていない。どちらかと言えば自己顕示欲の強い物書きの印象のある彼が、当時においても大イヴェントと目されたに違いない植樹式典で記念演奏をしたとすれば、必ず何らかの形で寄稿する筈である。
更に、その「さくら、さくら」の楽譜であると思われる「チェリー」(高折周一~「サクラ」楽譜~寿美子夫人歌唱 2016/4/12(火))の出版を告知する≪音楽界≫の広告や記事においても、式典演奏に言及が無い。宣伝文句には持って来いだと思うが。
楽譜表紙に付記されている≪Sungby Mme Sumiko≫に対応する記述として、“(高折の)寿美子夫人が欧米各地で独唱した”という一節はある。
そもそも、「さくら、さくら」演奏の情報源であるサイトの記述は、“当時の時事新報はアメリカで櫻植樹祭のおりに高織教授作曲の「サクラ」「萬歳」が奏でられたと報じた”となっており、(誤字はさておき)高折が演奏したとは記していない。