アメリカの首都ワシントンでも、今頃、桜祭が行われているだろう。本家日本の桜を凌ぐ見事な咲きっぷりだそうで、一度拝顔したいものだ。
よく知られているように、東京市から贈られた桜の苗木がポトマック河畔に植樹され(式典1912年3月27日)、育ったもので、以来日米友好の象徴的存在となり、また、開花時期の盛大な桜祭は国民的イベントとなっている。近年は他の東アジア諸国も合流願望を滲ませているとか。
このポトマック桜の実現に多大の貢献をした人物として、高峰譲吉を話題にしたのは5年前だった(高峰譲吉~ポトマック桜~映画「さくら、さくら」 2011/1/11(火))。今では、高峰の名を知る人は少ない。同じ様に忘れられた関係者の一人が、昨日取り上げた高折周一である。
苗木の植樹記念式典で高折の作曲した「サクラ」と「萬歳」が演奏された。
情報源であるこのサイトによれば、“当時の時事新報はアメリカで櫻植樹祭のおりに高織教授作曲の「サクラ」「萬歳」が奏でられたと報じた”という。≪教授≫の肩書は、高折がニューヨークの音楽学校で一応教員の地位を得ていたことを示すもので、
Professor を名乗っていたものと推測される。後のヨーロッパ渡航時の船中演奏会で指揮をした時のプログラムにも PROFESSOR TAKAORI と印刷されている。
高峰と高折との再度の(?)接点が音楽月刊誌≪音楽界≫の大正2年2月号に載っている。巡業の移動中、デトロイトでの汽車の乗り換え時間を利用して、たまたま同地で開演中の「ピンク・レディ」を観劇に行き、漫遊中の岩下青周氏と高峰博士に遭遇した(1912年11月12日)と書かれている。