明治から大正にかけての音楽月刊誌≪音楽界≫の大正2年(1913)4月号に美鷹(高折周一。在米音楽家で演奏旅行中)が寄せたエッセイ「珍聞観」に、『狆(チン)の由来』の一項があるのを見付けた。
チンと呼ばれる小型犬のあることは昔から知っているが、てっきり外来種だと思っていた。美鷹氏も同様だったらしい:
“イリイ市にて演奏中当市の有力家ラッセル夫人と申さるる方来訪せられ今年生まれたる狆に「マダム・スミ子」と命名致し度き故明日の命名式に列席致しくれまじきやとの事に候故喜んで出席大にその名誉なる事を謝し、翌日好都合に命名式を終り候同夫人及御良人は日本の狆狂とも申すべきか二十一匹飼養しおられ実に立派なる狆家(ストーブ万端至れり尽くせり)運動場狆掛り等之れ有り彼等は実に安楽なる生活を致し居り候然して其の名は日本知名の方々の名を命名致し有り候余は御夫婦より始めて「日本狆」の由来及如何にして狆と名づけしや等の詳細なる歴史を拝聴仕り候”
美鷹氏は東京音楽学校の優等卒業生で≪音楽界≫の創刊にも携わった当時の知識人だが、狆の由来をアメリカでアメリカ人から初めて聴かされたというわけで、それが今を去ること105年前のこと、当管理人が知らなかったのも不思議ではない、かな。
「マダム・スミ子」とは、美鷹氏の奥さんで、苦学の末、当時はニューヨークの歌劇場デビューを果たし、夫婦連れだっての演奏旅行中であった。彼女の師匠は、ジェラルディン・ファラGeraldine Farrar と言い、当代きっての人気ソプラノだったらしい。
喉の酷使で40歳ころに早々とオペラ界から引退したが、容姿と美貌に恵まれ、以後もコンサートには出演し、更に映画女優としても大成功を収めたという。想像される通り、艶聞にも恵まれ、彼の有名な大指揮者トスカニーニの人生にも多大の影響を及ぼしたそうだ。
アメリカでも人気のファラ嬢が殊の外マダム・スミ子に目を掛けていたことが、美鷹氏のアメリカ便りなどに書かれている。