食堂と図書館を主に利用させて貰っている大学の構内でたまにすれ違う旧知の人に今日も出会った(邂逅の妙~老後のお手本~頭の体操 2014/8/13(水))。進行方向が逆なので、いつも会釈を交わすか、一言二言立ち話をする程度だ。
きょうは、図書館内で再び彼の姿を目にした。雑誌を読んでいる風だったが、居眠りのようでもあり、微笑ましく、つい声を掛けた。懐かしさもあり、茶飲み話に誘った。他愛の無い近況報告の交換だけでなく、読書傾向に関する意見交換もあった。
別れ際に、ずっと温めていた質問を投げ掛けてみた。
“私が誰だかお解りですか。名前を覚えていますか?”
彼は困ったように苦笑しながら、言い淀み、結局は当方の正体を思い出せなかった。要するに、彼は、誰だか解らない当方を相手に小半時ばかり談笑していたのだ。しかし、明らかに共通の話題があることを知っているのだ。
考えてみれば不思議なことだ。誰だか解らない人物と時々すれ違うからと言って、それだけで親しげに会釈を交わすことは、普通は無いだろう。彼の深層意識に於いては、当方も過去に何らかの繋がりの有った人間なのだ。だからこそ、相手が誰だか解らないけれども、和やかに雑談し、“懐旧談に”花を咲かせることが出来るのだ。
二年前に比べると、チェリストとしての活動は旧に復しているようだ。体調も改善しているように見受けられる。しかし、記憶は着実に失なわれつつあるようだ。最近練習している曲を告げることが出来なかった。毎日よく体を動かし、本を読み、楽器を弾いたりしていれば、脳の老化も抑制できるとは言うが、それも程度問題なのだろう。