「さすらひの唄」(北原白秋/中山晋平 1917年)は、ひところ我が愛唱歌であった。佐藤千夜子の独特の高音が懐かしい。近頃はこの種の歌に親しむ機会が殆ど無く、十年一日の如き生活にも、しっかりと変化が起きているのだと少し感傷的になる。
昨秋取り上げた(2015/10/17(土))春秋社PR誌『春秋』2015年10月号(No.572)の記事≪歌い継がれる日本の抒情歌─生誕百年八洲秀章 - 菊池清麿≫にある八洲の作曲家デビュー曲「漂泊の唄」(ただし、“鈴木義男”名)は“さすらいのうた”と読むと言う。耳から入れば「さすらひの唄」と区別がつかない。
同名(類名)異曲の珍しくない世界だから、どうという事も無いが、急に「漂泊の唄」が気になりだした。ネット検索したところ、東海林太郎の歌う音源がアップされていて、どんな歌かは分かった。東海林の吹き込んだ多数の歌の一つ、という程度の印象しか受けなかった。
それはともかく、昨年が八洲の生誕百年にして没後三十年であったことを思い出し、遅ればせながら、改めて彼の作品を今年集中的に歌いたい気持ちだ。“愛唱歌”にカテゴライズされる曲だけでも十分に特集が組める。
交響詩「開拓者」(1958)も気になる。うろ覚えだが、四十五年ほど前、友人がFM放送からオープンリールのテープデッキで録音したものを部分的に聴いている。いずれ全体を聴かせて貰う口約束を交わしたものの、それっきりになってしまった。“オープンリールのテープデッキ”も懐かしいなあ。