テレマン/カノン風ソナタ第一番ト長調(二つのヴァイオリン)
プロコフィエフ/二つのヴァイオリンのためのソナタ ハ長調 作品56
の2曲と、その合間に≪半澤氏による解説≫を聴いているので、印象的だったことをメモしておこう。
≪テレマン/カノン風ソナタ≫は、2丁のヴァイオリンが全く同じ楽譜を1小節ずらして弾くのだそうだ。したがって、ふたりのヴァイオリニストが1枚の楽譜を共用するというのだが、ホールの後方に着席した近視の当方には、そこまでは見えなかった。
そこで思い出したのは、一つの楽譜を最初からと最後からと同時に演奏するというモーツァルトの「鏡カノン」だ(ジュニアオーケストラ~広報宣伝コンサート~鏡カノ... 2015/9/28(月))。この場合、一人は楽譜(音符)を逆さまに読むことになるのだろうなあ。半澤氏も、この曲に言及した。
プロコフィエフについては、1917年に始まった革命を嫌って国外に逃れたこと、途中、日本に暫く滞在したこと、ヨーロッパから最終的にはソ連に帰ったことなど略歴を説明された。日本滞在中に奈良ホテルのピアノを弾いたか弾かなかったかとか、雅楽の旋律を取り入れた作品があるなどの話題を最近読んだばかりだったが、掲載紙誌を思い出せない。
プロコフィエフが、独裁者スターリンと同日に没したと聞いたので、検索して、確認した(ウィキペディア):
≪セルゲイ・セルゲーエヴィチ・プロコフィエフ(ロシア語:Сергей Сергеевич Прокофьев シェルギェーイ・シェルギェーイェヴィチュ・プラコーフィイェフ;ラテン文字転写の例:Sergei Sergeevich Prokofiev、1891年4月23日- 1953年3月5日) 偶然の一致だが、プロコフィエフの死はスターリンの死と同年同月同日で、その3時間前であった。
ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・スターリン(ロシア語: Иосиф Виссарионович Сталин, 1878年12月18日– 1953年3月5日)≫