先日「超準解析」を話題にした(超準解析五十年~無限大超実数~無限小超実数 2016/2/19(金))。この語はNon-standardAnalysis の訳語ということだが、原語を見て意味が想像できる程度の、あまり適訳とは言えない印象であった。
Non-standardは、「非標準」とか訳するのが自然だと思うが、“非”の字の否定的なニュアンスを嫌ったものだろうか。何かを“超える”優れものを感じさせる“超”の誘惑があったのか。
よく目にする「非正規雇用」の“非”は、単に正規の反意語を作るだけで、好ましからざるイメージを感じさせない。これに倣えば、「非標準解析」でも良さそうだ。文字数を減らすなら、「非規解析」でどうだろう。折衷案で「超規解析」もあり得る。
“超準”の長所が一つある。“標準”の韻を踏んでいることだ。これが決め手かな。
「超準解析」なる語を覚えて間もなく、意外な所で再見した。小林康夫≪After the rain あるいは、超準哲学の方へ≫(季刊 未来 冬2016 no.582)の“超準”が目に付き、形容詞として市民権を得ているのかと思い、本文を読むと「超準解析」が発端であった。
小林氏もこの訳語には少し違和感を覚えていたようで、“いまふうに言うなら「非正規分析」と訳してもよかったはずなのに”と述べている。実は、けなしているのではなく、“斎藤正彦が「超準解析」という訳語を発明したことに感動して、講義の中では、わたしは自分の哲学的バラードの試みを、「超準(実存)哲学」への前走(=前奏)だと語ったりしてもいた。”と述べている。
ネット検索で見る限り、「超準解析」の絡み以外で“超準”が使われることは無いようだ。
“標準”を“超える”ことを単純に“新”で表わしたのが≪新物理≫だ。欧州合同原子核研究機関(CERN)の研究活動は一言で言えば「新物理」の研究で、これは“標準理論”を超える物理だそうだ(Newton 2016年1月号による。)。
肝腎のNon-standardAnalysis の内容については、いつか時間があれば 勉強してみたい。