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Channel: 愛唱会きらくジャーナル
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忠犬ハチ公~上野英三郎博士~再会前史

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春弥生の2回の本番のプログラムに唱歌「忠犬ハチ公」(小野進/小田島次郎)を予定している。地元東大農学部の構内に≪ハチ公と上野英三郎博士像≫が1年前に建てられ、新名所になっていることと(東大ハチ公物語)、ハチ公の祥月命日が38日で本番のすぐ後であるという話題性から取り上げるものである。イメージ 3
 






≪ハチ・博士像≫は、ハチ没後八十年に合わせて建てられたものだが、偶々博士没(すなわち両者永別)後九十年にも当たるキリの良いタイミングであった。というわけで、ハチ公と飼い主上野博士の九十年ぶりの“再会”であると思っていた。
 






ところが最近、偶々手にした東大農学部広報誌『弥生』Fall 2015No.612015.9)から、そうではないことを知った。記事の該当部分を下に引用する:

忠犬と博士の再会 イメージ 1  

いまから31年前にあたる198448日の朝方、農学部正門を出て行く一台の軽トラックがあった。乗っているのはお揃いのハッピを着た学生たち。荷台で揺れているのは一体の銅像。向かう先は渋谷のハチ公前だ。
 この日、渋谷駅前では忠犬の銅像建立50周年を記念する慰霊祭が執り行われる予定で、区長をはじめ、秋田県大館市の市長、新聞記者、商店街や渋谷駅の関係者、買物客など数百人が集まっていた。
 凛々しくもどこか寂しげなハチ公像には花輪がかけられ、お供えの供物も並べられている。トラックは到着し、急いで荷物が降ろされた。ハッピ姿の学生たちは苦労しながら白布に巻かれた銅像を忠犬の前に据えた。
 布が解かれると、威厳ある背広の紳士の胸像が現れる。忠犬と主人の再会。この様子を新聞各社は「待ちました60年」「魂ほえて飛びついた」と書いた。
 胸像は当時農学部4号館の玄関先に建っていた上野英三郎博士像。運んできたのは農業工学科在籍の学生有志だ。
「渋谷にハチ公祭りというのがあるらしいので、そこで二人を会わせてやろう」と一人の学生が言い出して始まったと飯田俊彰准教授(水利環境工学研究室)が教えてくれた。
 飯田先生はその時の学生有志の一人で、当日は運搬係として上野教授の胸像をハチ公像の前まで担いでいった。ハッピ姿で像の傍に立つ姿が当時の新聞に載っている。イベントは大成功。「ただ、あの年のあの一回だけで終わってしまったのは残念」と先生は振り返る。
 
昨年の≪ハチ・博士像≫除幕式でのご挨拶の中にも次のような意外な見方が述べられている:
 
≪ハチは上野博士が長期不在の後は渋谷駅から戻ることを知っていました。生前のある日、博士が長期出張から渋谷駅に戻った時、改札口でひとり待つハチに驚き、互いにじゃれ合って喜んだことがあったといいます。≫(【ハチ公と上野英三郎博士像除幕式】古谷研東京大学大学院農学生命科学研究科長・農学部長 開会挨拶)
イメージ 2


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