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一高門札紛失事件~昭和25年3月24日~月齢6

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「一高門札紛失」なる事件があったという。さる記念同志会の会報に寄せられた報文から、ちょっと長いが抄録しておこう:


 


何分にもこの事件は、   67年前に発生した事件であり、事件の関係者?や目撃者の多くが既に他界してしまっているので、いまだに真相が明らかでない点も多く残った儘なのだが、関係者の記憶を可能な限り正確に思い出していただき、書き残された諸関係資料等を可能な限り参照しながら、書き残しておきたいと思う。


 


(昭和25324日の一高最後の日)晩餐会の後、9時から「中寮」の前広場で有志が集まって、一高寄宿寮主催による最後の寮歌祭が開催された。寮歌祭の終わり頃とされているが、突然何かを大声で叫びながら3人の一高生が、正門から外してきた「第一高等学校」と書かれた大きな重い一高の門札を、焚火の中に投げ込んだ。


 


その直後に「門札だ!それはいかん!」と2,3の人が飛び込んで門札を取り出した。門札の角には火花が飛び散っていたが、これは焚火の燃え炭が付着したものであったろう。門札本体は幸いなことに燃えてはいなかった。


 


そのうち、東の空が白み始めた。「次の日の太陽が今昇ろうとしている。悔しいが、このあたりで一高の幕を引こうではないか」と叫んで「玉杯」を二唱した。「金波銀波の海静か」と歌い終わったとき、パラパラと拍手が起こった。


 


空を仰ぐと中天の少し西寄り、時計台の真上の辺りに片割れ月が懸っていた。こんな寂しい寮歌祭の幕切れは、ここにいる二十人以外、かつて誰も味わったことはないのではないのか、と思った。終わったあと、余燼に水をかけ、周りを見ると、正門に行く途中の左の芝生に先程の門札が置かれていた。


 


その後は、門札は正門にはかかっていなかったらしいが、一高終焉と共に取り外された、と誰もが思ったのではなかろうか。門札がなくなったといわれるようになったのはずっと後のことだ。


 


報文で引用されている複数の資料や証言から、事実関係を再構成する形で抜粋したので、全体のニュアンスは再現されていない。なお、寄稿者ご本人は、現在86,7歳と思われる。


 


「一高門札紛失」は、当時一高生だった方々にはそれなりに記憶に残る事件だろう。特に、現場に居合わせた人には印象深い出来事であるに相違ない。青春時代の感傷的な思い出の象徴であるかもしれない。最後の寮歌祭の「嗚呼玉杯に」と共に。


 


寮歌も大好きな当管理人だが、今回は別の事に興味を持った。“東の空が白み始め~太陽が今昇ろうとしている~空を仰ぐと中天の少し西寄り~に片割れ月が懸っていた”という(3月25日未明の)情景描写である。


 


(3月25日未明の)“東の空が白み始める”のは、国立天文台の≪きょうのほしぞら≫から推定すると、午前4~5時頃である。


 


また、“事件”当時の天文データを、≪こよみのページ≫(http://koyomi8.com/)で検索したところ、下記の通りであった。


当夜はほぼ上弦の月が空に掛かっていたとすると、太陽を追い掛ける位置関係にある筈だ。つまり、夜明けではなく、日没時に“中天の少し西寄り~に片割れ月が懸って”いた筈である。 


愚考が正しいとすると、報文中の“中天の少し西寄り~に片割れ月が懸って”の証言は、晩餐会後、寮歌祭が始まる頃の情景が年月を経て、門札焚き込みという印象的な事件の記憶と融合した結果ではないかと思われる。
 

国立天文台のサイトでシミュレーションして、当時の“ほしぞら”を再現することは出来るのだろうか。計算では、七百回以上クリックしなければならないのだが。


月の出 0853


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