明治・大正時代の月刊誌「音楽界」の明治44年4月号(第4巻4号)楽曲が5曲掲載されている。その5番目が「亡児を懐ふ」、アイヒェンドルフ原歌・秋元蘆風作歌・浅田泰順作曲である。
何気なくその音符を追っていくと、懐かしさがこみ上げて来た。歌の内容もさることながら、メロディー自体にデジャヴュ(既視感)を催すのだ。つまり、どこかで聞いたような曲なのだ。
例えば、全16小節中、第6-11小節辺りは「桜井の訣別」の“里のわたりの夕まぐれ 木の下蔭に駒とめて”を思わせる。また、エンディングは「真白き富士の根」に似ている。どちらも本曲の前に発表されている。第3-4小節も聞き覚えのあるメロディーなのだが、曲名を思い出せない。
全く別個に作られても偶然に似たメロディーになることはあり得るし、作曲者の記憶にあるメロディーが無意識のうちに譜面に表現されることもあるだろう。
短い、簡単な歌の場合、似通ってしまう確率は高くなるとも考えられる。その結果、曲Aが、曲B,曲C,曲D,,,の寄木細工のように見える可能性も否定できない。「亡児を懐ふ」は、その一例なのだろうか。
ところで、アイヒェンドルフの名も懐かしかったのだが、記憶定かではなかったため、検索して確かめた。ウィキペディアなどによると:
“ヨーゼフ・カール・ベネディクト・フォン・アイヒェンドルフ男爵(Joseph Karl Benedikt Freiherr von Eichendorff, 1788年3月10日- 1857年11月26日) ドイツの小説家、詩人。
その詩は、シューマンの≪リーダークライス作品39≫、リヒャルト・シュトラウスの≪4つの最後の歌≫など、多くの歌曲に残る。
Auf meines Kindes Tod という詩があり、‘亡児を憶う’などと訳されている。”
ということで、秋元蘆風さんも、作歌とあるが、訳したものだろうか、或いは、翻案作詞といったところか。