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日韓併合~田村虎蔵~同化・開発・教育

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雑誌「音楽界」の明治441月号に“誌説”として音楽教育会理事・田村虎蔵の≪韓国併合と音楽教育問題≫が載っている。音楽教育会は当誌の編纂・発行元である。
 
韓国併合 

1910829日に公布施行された「日韓併合に関する条約」に基づき日本が行なった韓国領有。日露戦争の結果,調印されたポーツマス条約 (1905) 2条,日英同盟 (同年改定) 3条においてそれぞれ日本の韓国における政治上,軍事上および経済上の卓絶した地位が承認されたが,さらに日韓協約(同年) によって日本は韓国の外交権を獲得し,韓国は国際法上の保護国となって統監がおかれた。(コトバンク)

 
田村虎蔵 明治6(1873)524日生 昭和18(1943)117日没

いわゆる「言文一致唱歌」の改革を行なった中心的人物。作曲家。 東京音楽学校を卒業したのち、東京音楽学校兼高等師範学校助教授として子どもたちに音楽を教えた。この時、難しい言葉を多用する音楽教育の現場を実際に体験し、分かりやすい唱歌の創造に着手する。
 明治33年に刊行された『幼年唱歌』(納所弁次郎との供編)がその最初であり、これをきっかけとして納所らと共に『少年唱歌』『教科統合少年唱歌』『尋常小学唱歌』などをまとめる。これらの活動により日本の唱歌が大きく軌道修正されることになった。(d-scoreイメージ 1

「金太郎」「浦島太郎」「一寸法師」「青葉の笛」など、今でも歌われる童謡・唱歌を数多く作曲した。
 
田村は先ず、“(韓国併合は)誠に空前無比の慶事、明治照代の御余沢の致しし所ならんも、斯かる目出度お正月を迎ふることは、復びこれあるべからずを思ふ。”と手放しの喜びようである。
 
次いで、“如何に之を我国に同化すべきか如何に之を開発し教育すべきか?~~~新聞に雑誌に、学者識者の高論卓説を掲載せらるるあり。今や殆んど其佳境に入らんとすめり。”と、後進国を開発し、蒙昧の民を教育することが日本の国を挙げての高邁な責務であるとの風潮に共鳴している。
 
さて、教育問題に入り、“古聖曰く、「人心の統一は歌謡に若くはなし」と、然り!! 新版図朝鮮国民をして、我日本帝国国民に同化せしめんには、素より多種多様の方法あらん。而も大和言葉を附したる新旋律をして、彼の一千二百万人に謡歌せしむることは、所謂日本人としての人心統一に資し、新国民を同化せしむる上に於て、吾人は最も有力なる手段の一なりと信ず。”(*)と、歌謡が同化教育の有効な手段であることを力説する。
 
更に、“朝鮮国民の指導開発には、先づ日本語を普及せしむるにありと、これ既に世論の定評なるを認む。吾人亦之に賛意を表示するものなり。而して、此日本語の普及策や、是亦音楽の応用に若くものなきを信ず。”と、日本語の歌を歌わせることに論を進める。
 
論より証拠と、田村は、先に台湾民政長官後藤新平の委嘱を受けて、台湾国民を日本国民に同化させるため、“大國民唱歌”を作曲した事績を述べ、“誠に以て最良の所為時宜に的中したるものとや申すべき”と自讃する。
 
最後に、田村は、朝鮮国民を次のように持ち上げる:
 
“其頭脳は、数理に適せずと傳ふるも、技藝殊に音樂に堪能なる國民なりとは、吾人屡々之を耳にせる所なり。~~~其宮廷音樂の如き、樂師は勿論朝鮮人にして、その技術は我日本國に於てすら、容易に之を見ることを得ずと賞揚せらるる程なり。”
 
(* これに続けて、“武力を利し、権威を用ひて成れる統一は、所謂形式的に陥り易く、遂に全く同化せしめ能はざるを思ふなり。”と、平和主義者(?)の一面を覗かせる。)
 
その当時、朝鮮併合を批判した人は極少数であったに違いない。国威の発揚を喜んだ田村が特別に侵略的植民地主義者であったとは言えない。先の戦争中、国策に、軍部に協力した音楽家がすべて根っからの軍国主義者であったわけではないと同様に。
 

それにしても、戦時協力の反省がそれなりに社会的広がりを持ったのに比べ、朝鮮併合後の文化人の対応については余り聞かないように思うのは、当方の勉強不足に過ぎないのかな。

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