明2016年の正月に開催される≪文京区合唱のつどい≫に応募したのだが、今日の抽選で奇跡的に落選してしまった。参加を前提にいろいろ苦労を重ねてきたのが、無駄になった。過去のデータから見ると、応募全58団体が参加できると思われたが、主催者側(合唱連盟)の負担(主として拘束時間)を減らすことにしたらしい。
抽選は2段階で行われ、最終的には、(時間帯希望を捨ててまで)参加希望しながら落選したのは数団体と思われるので、実に低い確率に当たったものだ。
抽選会場に向かう途次、落し物をしたご婦人に善行を施したのだが、神様のお目には留まらなかったようだ。と不幸を歎ずる資格があるのかというと、実は因果応報かなと反省する材料もある。抽選会の取り運びに口出ししたのだ。
落選者の誰もが思うこと(正論)を代弁したに過ぎないのだが、主催者にしてみれば、“人の苦労も知らないで(うるさい奴だ)”と苦々しかったことだろう。お上に楯突いて天罰が下された格好だ。Speech issilver, silence is golden.
言うまでも無いが、善行必ずしも報いられるとは限らない。逆の事もある。この世の中、因果関係の無いことが殆どなのだ。つまり、偶然の集積。ということで、今日の不運を忘れて、次の≪まつり≫に備えよう。
思い出すことがある。ある公共事業の土地買収に際し、複数地権者の先頭に立って買い叩きに抵抗した人がいた。事業者側は各個撃破に出て、他の地権者と話をつけた。硬骨の正義漢は知らぬ間に一人取り残され、彼の土地を避ける形で工事が始まった。
他の地権者たちは、正義漢のお蔭で有利に土地を売ったのだが、彼は迷惑施設に隣接して住み続けることになった。勿論、補償は一切無い。この手の話がどれほど普遍的なのか知る由も無いが、しみじみ世の無情を思わせる。