手許に、兼常清佐「音楽の話と唱歌集(上級用)」(小学生全集第67巻、文芸春秋社・興文社 昭和2年10月)という本がある。小学5,6年生用の家庭学習教材だろう。
高が小学生用と見くびっていたが、唱歌集の部を覗いてみてオヤと思った。初めの方こそ、越天楽、子守歌、荒城の月など、唱歌そのものだが、やがて、サンタルチア、菩提樹が登場し、最後はベートーヴェンのロマンツェ(作品50)と月光の曲である。
最後の2曲は、勿論、唱歌ではなく、(目次と本文では「楽曲集」となっている)、しかも、楽譜が全篇そっくり載っている。これが(一般の)小学生用の教材かと、恐れをなすとともに、興味が湧いた。
スコットランド民謡「小川の岸辺」と「サンタ・ルチア」の間にド・リール作「マルセーユの歌」というのが挟み込まれており、メロディーを辿ると現今のフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」であることが解るが、歌詞が付されていない。解説を読んで些かならず驚いた。
兼常先生曰く“私はこの歌の文句は載せない。もともと、この歌は軍歌である。~諸君に軍歌などを唄って貰ひたくない。戦争は私の一番嫌ひなものである。もし諸君の中に、戦争が好きで、人殺しが好きで、喧嘩が好きな人がゐるならば、やはり誰かその様な人に頼んで、殺伐な文句をつけてもらったらよからう。私は軍歌は断然おことわりである。
諸君はこの曲を遊戯なり、体操なりの行進曲に使ふがいゝ。その目的には、この曲は実によく適してゐる、もし諸君がこの曲全体が弾けないなら、右手のメロディだけを弾けばよろしい。誠に面白い、愉快な、いくら押しつけても、はね返す様な力のあるふしである。”
つまり、名曲ではあるが、軍歌としての歌詞は拒絶するという訳だ。
いわゆる戦前の、大日本帝国の軍部が勢威を振るう時代に、このような明確な反戦主義を主張するとは、只者ではない。左翼など、反体制派の人が、その陣営の出版物に書くなら不思議は無い。しかし、この本は“文芸春秋社”の“小学生全集”中の一冊だ。
大正時代が終わって1年足らずで、まだ大正デモクラシーの余韻が残っていたのだろうか。国家総動員法が成立するのは10年以上後だ。
兼常先生は「楽曲解説」に先立つ本文(西洋音楽の話 歌の話 民謡)においても「マルセーユの歌」を持ち出している。
“~音楽の力、―――といふよりは、むしろ、美しいメロディの力がどれほど、力強いものか、~それはフランスの有名な歌「マルセーユの歌」の話である。~「鉄道唱歌」の様なくだらない、平凡なふしではない。
~青年技師のルージェ・ド・リールは「ライン河畔の軍歌」といふのを作った。~一夜カフェーで、それを唄はせてみた。さうすると、そこにゐたもの共は全く驚嘆した。ふしが如何にも面白くて、愉快で、元気に満ち々々ている。
~たちまちの間に、ルージェの歌は~どんどん広まっていった。そのうちでも、マルセーユの軍隊が盛にそれを唄った。~この歌を唄ふ人々が我も々々と集まって来て、非常な勢でパリに進軍した。それで、さすがのプロシャ軍も、とうとう、パリを明け渡さなければならなくなった。
~この歌のために人の心が強くなり、~この歌の下に一致団結して~大きな力になった事は疑ひない、~いい民謡のふしが、人の心の底に触れると、それから湧き上がる感情は、社会の上に、どんな形になって現はれるか計り知られない。~
諸君!~私は民謡について話をするのに、フランス革命といふ様な戦争の話を、なるべくならば、持ち出したくなかった。私は戦争は非常に嫌ひである。~併し、何といっても、「マルセーユの歌」は、民謡の力を十分に発揮した非常にいい例である。~
諸君はまだ若い。諸君の心はまだ純である。諸君は今は物に感じやすいときである。そして民謡は諸君が何の用意もなしに、忽ち覚えてしまふ事の出来るものである。~そしてその勢力は、実に「マルセーユの歌」の実例が明かに私共に示したほど、大きなものである。
諸君にどんな民謡を与へたらいいか、といふ事は、実に容易ならぬ大きな問題である。音楽の事のわかる諸君の先生がたや、諸君のお父さんやお母さんは、必ず諸君のために、その事をよく考へて見て下さるであらう。”
兼常先生は、「マルセーユの歌」を民謡の一つと見做して論を進めているが、その趣旨は、いわゆる民謡に限らず、歌一般について当てはまるものだろう。
また、“先生がたや、諸君のお父さんやお母さんは、必ず諸君のために、その事をよく考へて見て下さるであらう”の結語は、大人に対する要望だろう。その御要望に応えられなかった結果は歴史の示すところだ。今の世の中にも打ち鳴らしたい警鐘ではないか。