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Channel: 愛唱会きらくジャーナル
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山田耕作留学~敦賀出帆~小林君

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以前、山田耕筰の自伝「若き日の狂詩曲」から材料を得て何回かに分けて投稿した。その中で、“ところで、耕筰のシベリア鉄道往路については全く記述が無い。関係のある部分は、上記の一件と、1910年2月24日に東京を出発して、3月の初めにベルリンに着いたという簡単な記載だけである。”と書いたことがある。(山田耕筰自伝②~友人多数~無名の人 2012/8/7()
 
その“東京を出発して、~ベルリンに着いた”往路のひとこまを山田自身が現在進行形で記していたことが判った。最近度々利用する月刊音楽雑誌≪音楽界≫の明治43年6月号に「海陸八千里  山田耕作」として寄稿している。
 
敦賀からロシア船でウラジオストックに渡り、シベリア鉄道経由でベルリンに向けて出発したところまでの四日間(1910年3月5日~8日)の記録である。老熟してからの執筆である自伝とはかなり書き振りが違う。如何にも青年らしい昂揚感と茶目っ気溢れる文章で、好印象を与える。
 
興味深いできごとが多く記述されているうち、一つだけ取り上げると、≪山田耕筰自伝②~友人多数~無名の人 2012/8/7()≫で言及した「小林氏」について比較的詳しく書かれている。敦賀の宿屋で見掛けた見覚えのある人、名前を思い出せなかったが、“一昨年高商でブルータスに扮した人”として登場し、荷札から小林君と判る。道連れとなることを喜んでいる。
 

この投稿の時点では知る由も無いのだが、不運にも小林君は翌1911年ベルリンで病死し、山田は彼の最後の数か月と遺体の運送、火葬などの世話をすることになる。

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