コーラスなどにうつつを抜かしているうちに、世間の政治・社会情勢が緊迫の度を増してきた。民意を反映しない現政府が国民に君臨するようになってどれ程の時間が経ったのか、2~3年だろうか。総理大臣が絶大な権限を握っていても、物事が総て思いのままに運ぶわけでもないところに僅かに救いを見いだす危うい状況だ。
マスコミが政府の鼻息を伺うありさまと言いながらも、安保法案(?)に反対の意思を行動で示す勇気ある人達について、ウェブニュースなどが伝えてくれている。TV局はほぼ政府のコントロール下にあって、反対デモなどは大きく報道しないのだそうだ。某国営放送は、〈法案に〉反対の意見は理解に苦しむというようなコメントを流したとか。
反政府系の集会には公共施設を貸し出さない自治体が少なくないとも伝えられる。いずれにしても、今は未だ言論統制があからさまには行われていない。今のうちに本当の民主政治を作っておかなければ、いずれ思うことを自由に口に出来ない世の中になりそうだ。
どうしてこんな変な世の中になったのか。それは選挙制度のからくりだろうと思う。民意における相対多数派が権力に於いて絶対多数派となり得る仕掛けが諸悪の根源だろう。一旦権力の座についても、権力は民意に沿って行使するという原則を誰もが理解し、順守するようにならなければならない。
とても単純明快な民主主義の根本思想だが、いわゆる指導的立場にある人達や有識者の間でも、あまり理解されていないようだ。日本の教育行政が長年にわたって国民を洗脳して来た成果の現れだろうか。
大沢文夫さん(生物物理学、1922生れ)が「国にほめられるようではダメ」と言っている(月刊「機」2015.8)。この“国”とは、中央の高級官僚のことだとか。直接には、研究補助金の配分についての批判の絡みなのだが、何かしら共感を覚える。