「星の王子さま」著訳者・内藤濯の伝記である内藤初穂・著「星の王子の影とかたちと」(2015/8/30(日))は拾い読みに終わったが、本筋に関係の無いところで興味深い記述が幾つかあった。健忘なる我が身に鑑み、記録して置こう。
先の戦争中に国民総動員の仕掛けとして重要な働きをしたと思われる大政翼賛会が、1940年の設立当初は、極端な国粋主義の暴走を抑制しようとする人たち(良識派?)を中心としていたらしい(これは常識なのかな?)。その後、彼らは(内部の)極右勢力からアカ呼ばわりされ、中枢から追い出されたそうだ。
このような経緯が記されているのは、内藤濯の親しい知人や親類筋の人が会に関係していて、良識派だったからだと読んだ。内藤自身も聖戦の潮流に流されはしたが、勇ましい戦意鼓舞の執筆はしなかったという。元来がおとなしい文化人だったのだ。
内藤は詩の朗読に熱心だった。詩人たちとの朗読の集りに参加していた。短歌にも関心があり、その朗誦に凝っていた。所謂朗詠調は旋律に拘り過ぎていて感心しなかったそうで、短歌の言葉自体の持つ音の自然体で朗誦するべきだとの考えだった。
作曲家の呉泰次郎に曲譜を書いて貰って、実際に講演会などで朗誦指導もしたそうだ。雑誌≪日本談義≫に楽譜が載っているというので検索したら、これは熊本で発行されている地方雑誌だった。
呉泰次郎(ごうたいじろう、1907年2月17日- 1971年7月1日)は日本の作曲家である。叔父は小説家の村井弦斎。校歌の作曲なども多く手がけた代表的なものに日本体育大学の校歌等がある。主な教え子に指揮者の大町陽一郎、作曲家の石井歓や金井 ...
呉泰次郎の名は知らなかったが、数字マニアとしては、彼の生没年月日の1と7との並びにに惹き付けられる。