小松玉巌(耕輔)が編集主事を務めた雑誌『音楽界』明治41年2月号≪地方樂況≫欄に、前年(1907)11月9日、仙台医学専門学校講堂で開かれた“仙台諸学校連合音楽会”が紹介されている。
器楽、声楽、合奏、独奏取り混ぜて全28曲目の内に、四部合唱「ピューテフル、ランドジ」ョンス作(ママ)とある。正しくは「ビューティフル・ランド」ジョウンズ作だろう。
これは、当欄に時々登場する≪小松玉巌訳・作詞「希望の島」≫の原曲“That Beautiful Land”のことで、四部合唱とあるが、今流に言えば、男声四重唱であった(小森谷三雄、山本富一、池田清、鬼川俊三)。
基本資料として重宝しているウェブサイト≪「希望の島」のルーツを探る(概要版) 2010年5月 25 日 吉居清≫に、“1913(大正2)年5月24日に同志社グリー、「ザ・ビューティフル・ランド」を歌う”とある。
今のところ確認できる記録上の“ThatBeautiful Land”本邦初演は、上記1907(明治40)年11月9日≪仙台諸学校連合音楽会≫ということになる。
原曲初出の≪Towner’s Male Choir≫出版が1894年だそうだから、他の音楽雑誌など古い資料に当たれば、もっと早い本邦での演奏の記録が見付かる可能性は高いと思われる。
なお、小松の訳・作詞による≪希望の島≫の初出は≪音楽界≫明治42年6月号である。