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東京市歌~セノオ音楽出版社~四部合唱

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先日(2015/8/27())、kotoyo_sakiyama様にご教示いただいた「本邦洋楽変遷史」を図書館で参照し、高田 耕甫 作歌、山田 耕作 作曲東京市歌」(大正15年)の制定経緯について詳しく知る事が出来た。要約すれば次の通り:
 
1906(明治39).12 「東京市歌の歌詞」懸賞募集 締切1909(明治42).2.15
1909(明治42)   市歌選定委員会が応募作によって新市歌を起草することになった。
              起草担当 矢(ママ)松謙澄
調査委員14名(森林太郎、幸田露伴、姉崎正治、芳賀矢一、井上通
泰、等)
              主査委員(佐々木(ママ)信綱、上田萬年、大口鯛二、等) 
          7.1 末松 脱稿
          (同日)末松及び主査3名市役所にて末松案を討議研究、修正
          7.6 (4PM)調査委員14名を加えて総会。決定に至らず。
              (歌詞案は)約二十連で、三味線にも琴にも、オルガン、ヴァイオリン等と東西の楽器にのせて唄い得る様に作成したのが長所でもあり短所でもあった。
1922(大正11)    再び「東京市歌」の懸賞募集。「市民歌」と「童謡」の2区分。
1923(大正12).6  審査委員(巌谷小波、島木赤彦、山田耕作、秋田雨雀、西條八十、永田市長、池田・前田助役、佐々木・大村・大迫課長)で決定。
             セノオ音楽出版社を指定、出版。
 
一方、雑誌≪音楽界≫の記事によれば、次の通り:
 
1908(明治41).5  「市歌」選定会議第1回。
          6   同 第2回。東京音楽学校にて。
              市側:尾崎市長、河田助役、戸野教育課長
              委員:末松謙澄、伊澤修二、井上哲二郎、上田萬年、芳賀矢一、三上参次、森林太郎、井上通泰、幸田露伴、田中正平、湯原元一
 
市歌選定委員会に関する「本邦洋楽変遷史」の記述がいつの時点を指すのか不明であるので、応募締
切後、すなわち1909年と一応仮定したのだが、≪音楽界≫の記事が現在進行形であるので、これ
に従うならば、1908年の出来事であったことになる。
 
“締切1909(明治42).2.15”の記載が誤り(ミスプリ)である可能性もある。一次資料に当たって見なければ判定できない。
 

「本邦洋楽変遷史」によれば、山田 耕作 作曲東京市歌」は、四部合唱編曲もあるそうだ。これも探索しなければならない。

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