「星の王子の影とかたちと」に記載の通り、朝日新聞夕刊の1923年10月31日の(一)から11月6日の(六)までに分けて連載された内藤濯の「日本の変災と巴里」を縮刷版で読んだ。内藤の脱稿(送稿も?)は9月20日なので、記事になるまでにひと月以上経過している。
細密な字は老人の目には甚だ読みづらく、また、内藤の文章には難解な箇所もあり、苦労した。独断で要約すると次のようである:
“当初は横浜の大地震と伝えられ、その後東京の惨事が徐々に伝えられた。また、「神聖なる島」江の島が消失したとか、伊豆大島、三浦半島が海没したなどの誤報もあった。中国経由では、日本難民が続々と上海に押し寄せているなどの報もあった。これらによって、日本は一等国から没落する羽目になると軽はずみな記事を書いた新聞もあった。
正確な情報が届いて、フランス各界の日本に対する同情や援助の機運も高まった。政府は6日の閣議で翌7日(金)を国民的服喪の日とすることとし、公共施設は弔旗を掲げ、オペラ座など国立劇場は興行を中止した。
政府は民間の劇場、映画館などに対しても興行の一日休止を促した。しかし、フランス興行組合は独自の見識を以ってこれを斥けた。日本国民の災難には深く同情するものであるが、只一日だけの休業は何人をも益しない。むしろ、緊急に会議を開き、罹災者救助の道を講ずることに決した、と言うのである。新聞はすべてこれに賛同した。
近年、現代日本の実体を正しく伝える出版物や展示会なども増えてきているが、依然としてフジヤマ、ゲイシャなど型に嵌った古い日本のイメージを持つパリ人が多い。日本の大災害が詳しく伝えられることを契機として、日仏両国の相互理解を深め、日本は持てる「よいもの」を積極的に見せ、相手方に持ち込むべきである。”
当管理人の読むところ、内藤の記述の半分以上(特に後半)はフランスの文学界、演劇界、芸術界における日本理解、日本表現の現状や問題点を論じたものである。その中に今回の災害への反応なども含まれてはいるが、やはり、報道記者ではなく、文学者の目を通した報告及び意見である。
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