フランス文学者・内藤濯について、石川啄木絡みで過去に書いたことがあり(石川啄木~交流~小松耕輔 2012/6/25(月))、“サン=テグジュペリのLe Petit Prince(直訳すると「小さな王子」)を『星の王子さま』と訳し”た人とは知っていた。
近頃目を通しつつある明治・大正時代の音楽雑誌≪音楽界≫に“内藤水翟”の名が頻繁に登場して来るに及び、それが内藤濯のペンネームであることを思い出した。何故フランス文学者が音楽雑誌に常連の様に投稿するのか気になり、少しネット検索した結果、内藤初穂・著「星の王子の影とかたちと」(筑摩書房2006/03)を図書館から借りて読むことになった。
同書は内藤濯の伝記であり、著者はその子息である。記述は当然フランス文学関係であるが、内藤濯が若い頃から音楽にも親しんでいたことが書かれており、≪音楽界≫との繋がりも納得が行った。西洋音楽の新知識の紹介や歌曲の訳詞・作詞も手掛けている。
シューベルト作曲、内藤水翟作歌「シューベルトの子守歌」については≪2013/9/8(日)≫の項で話題としたが、他にも沢山手掛けたようで、近藤朔風の訳業のゴーストライターも務めたようなことが「星の王子の影とかたちと」から読み取れた。
同書によれば、内藤濯がフランス留学中に関東大震災(1923年9月1日)が起こった。通信事情が今日ほど発達していなかった時代だから、詳しい情報がヨーロッパに伝わるまでに時日を要したことは言うまでも無く、初めは横浜の地震として伝えられたことなど、その間の状況や彼の経験なども興味深く書かれている。
彼が朝日新聞の大阪支社宛てに送稿した「日本の変災と仏蘭西人の同情」が「日本の変災と巴里」と題して(変の2か月後に)東京朝日新聞の夕刊に連載され、当時のパリジャンの反応を明らかにした唯一の通信だったそうである。もう直ぐ9月1日だ。今度読んでみよう。
今日も肌寒かったなあ。
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