“一、大昔から 雲の 上、
雪を いただく 富士の 山。
いく千まんの 國みんの
心 きよめた 神の 山。
二、今、日本に たづね来る
よその 國人 あふぐ 山。
いくまん年の のちまでも、
世界 だい一、神の山。”
二番の“よその 國人 あふぐ 山”とは、大東亜共栄圏に覇を唱えようという気持ちの表れだろうと思った。つまり、植民地や支配的経済圏の人々にも富士山を仰ぎ見させて盟主ぶるつもりだろうと。
実際のところ、外国にも富士山に劣らず美しい、あるいは神々しい山はあり、山容も富士山にそっくりのものもあるので、世界第一などと威張るのは、井の中の蛙というものだ。
序列意識を振り回さずとも、美しいものは美しい。富士山も確かに美しいし、立派に見える。外国人が見ても、感心し、賞め讃えて不思議は無い。今朝の日経新聞にその頼もしい一例が紹介されていた:
“(横浜から西への旅の途中)朝、目を覚ますと、富士山が眼前にあった。とても清潔で、澄んでいて堂々とした崇高さがあった。”(フェルディナント・フォン・リヒトホーフェン)
上村直己氏の「独科学者の幕末明治紀行」と題して、19世紀ドイツの地質・地理学者・探検家リヒトホーフェンの日本滞在記のことなどを書かれたエッセーの一部である。
リヒトホーフェンは、当代一流の人士で、“絹の道”の呼称を用いた最初の人だそうだ(Seidenstraße → silk road → 絹の道)。