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広島原爆初判定~荒勝文策教授~陸海軍調査団

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昨日、次のような小さいニュースが報じられ、何と無く気に掛った:
 
20150626() 1832分 共同通信社
原爆初判定の資料原本発見 京都帝大教授の遺品から

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 京都帝大の荒勝文策教授の遺品から見つかった、原爆投下直後の広島での現地調査の資料=26日、京都市左京区の京大総合博物館
 
戦時中に海軍の依頼で原爆開発を研究し、原爆投下直後の広島で現地調査の結果、新型爆弾を「原子爆弾」だと初めて科学的に判定した京都帝大の荒勝文策教授(1890〜1973年)が残した当時の分析資料の原本や弟子の研究ノートが見つかったことが26日、関係者への取材で分かった。


荒勝教授が新型爆弾を原爆と判定したことは既に知られているが、資料の原本が確認されたのは初めて。被爆70年の節目に、専門家は「歴史を検証する貴重な資料だ」と注目している。~~~

 
我が国の科学水準に係る話題には一般的に引き付けられるのだが、このニュースでは、“原爆初判定”がキャッチフレーズだった。本文中では“原爆投下直後の広島で現地調査の結果、新型爆弾を「原子爆弾」だと初めて科学的に判定した”と具体的に述べている。
 
広島への新型爆弾の投下については、政府による新型爆弾発表に拘らず、彼を含めて専門学者や軍幹部は、広島に投下されたのは原子爆弾であると認識していた日本陸軍の原爆計画~仁科芳雄の誤解~黒田和夫の保管書類 2013/1/27()”から、軍(中央)の調査も当然に原子爆弾を想定した性格であったから、早くに事実確認をしていた筈だ。
 
その軍(中央)よりも早く荒勝教授が原爆初判定をしていたとは知らなかった。早速ネット検索したところ、≪広島市への原子爆弾投下≫(ウィキペディア)に次の通り軍の調査結果が載録されていた:
 
“火勢がやや収まってきた61730分、呉鎮守府呉工廠調査班が入市調査を開始し、翌7日までには熱線や爆風による被害及び正確な爆心地を解析し、8日には大本営海軍部調査団と合同で「86日廣島空襲被害状況報告書」にて原爆の空中爆発による攻撃であると断定した。~~~
 
9日、陸軍省広島災害調査班が日本赤十字広島赤十字病院の地下室でレントゲンフィルムが全て感光していることを確認、直ちに陸軍軍医学校に放射線専門家の派遣を要請している。~~~
 
1010時、広島陸軍補給廠にて第2総軍や陸軍船舶練習部及び海軍呉鎮守府等の軍関係者や目撃者を交えた陸海軍合同検討会を開催した結果は、
 

八月六日広島空襲ニ対スル研究会議事概要
二〇.八.一〇 呉工廠

一、日時、場所 八月十日 於広島陸軍補給廠

四、判決
(イ)弾種、通常ノ爆薬又ハ焼夷剤ニアラズ 原子爆弾又ハ威力之ト同等ノ特殊爆弾ナルモノト認ム

~~~”
 
時間的には軍の調査で原子爆弾であることが初確認されているようだが、“「原子爆弾」だと初めて科学的に判定”というところが肝腎なのだろう。つまり、現地土壌の放射線を測定した結果から原子爆弾であると判定したのは、荒勝教授が最初だった。それは「測定時間8月12日11時20分より13時30分迄」と記載された記録から判るようだ。
 
荒勝教授の放射線調査は、軍の依頼によるものではなく、彼の学者(個人)としての行為だったのだろうか。軍の協力を得ていたことは無かったのか。その調査結果は軍あるいは政府に伝えられたのだろうか。
 
などと自問しながら更に検索したところ、ウィキペディア≪荒勝文策≫に、
 
持ち帰った土壌サンプルからベータ線を測定した。813日に再び広島でベータ線の特性を調査し、815日には、土壌の強い放射能などのデータから、広島の被害は原子爆弾によるものであるという報告を海軍に提出した(「広島被爆地土壌等調査結果及ビ判定ノ概要」)。この報告には、「核分裂ヲオコセル『ウラニウム』ハ約1kg」という分析結果があり、ほぼ正確に実態をつきとめていた。科学的な裏付けに基づいて、原爆投下を受けたという確信を日本側が持ったのは、このときが初めてであった。
 

とあるのを見付けた。また、彼が軍の調査団と協働していたことも記述されている。

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