経済の成長(量的な拡大)を無条件に善とする思想、意識あるいは無意識について、前にも呟いたことがあるような気がする。一時期、成長率崇拝を反省する雰囲気があったとも思うが、いつの間にか世界中が。また成長期待一色に染まったようだ。
尤も、成長というのは相対的概念だから、時系列的に眺める必要はある。デフレ退治論が支配的になった近年、成長志向と言っても、かつてのような高度成長は誰も想定してはいない。しかし、GDP統計に一喜一憂するマスコミ報道が普通になった今、成長崇拝が蔓延しているようで、気懸りだ。
長期的には、社会・経済の環境保護体質への改善が最重要課題であると思う。単純な話としては、資源・エネルギーの消費量を抑制する(効率化)努力を忘れないことだ。しかし、政治屋さん(及び彼らを誘導する利益集団)に掛ると、たちまち威勢の良いお祭り計画のオンパレードとなる。
オリンピック騒ぎがその典型だ。良心的な人たちの建設的な節約提言もいつのまにか掻き消されてしまう。最終的には国民の意識の大勢によって決まるとは言えるが、お上に従順な国民性に鑑みれば、良い方向に進むようには思えない。
戦争参加に前向きな人が権力の座にある今、資源・エネルギーの消費量を抑制することなど、夢想に等しい。個々の企業におけるコスト削減のための消費効率化努力が、社会全体の環境保護体質向上につながる保証は無い。
改めて、社会・経済の基本姿勢を問う有力な論調の台頭を祈る。