一昨日≪アッツザクラ~藤田嗣治~アッツ桜≫の項で“日本軍がアッツ島で“発見”したアッツ桜は、現今のアッツザクラとは別物なのか”と自問した。資料の記述ぶりからすれば、答えは明らかに“Yes!”だったのだが、そこは素人の悲しさで、自信が無かった。
図書館から借り出した杉山吉良「北限の花 アッツ島再訪」(文化出版局 1979.9)の写真を見て漸く、アッツ島の「アッツ桜」と今花屋さんで見掛ける「アッツザクラ」とは別物であることを確認した。
こうなると、現今の「アッツザクラ」は、いつ、なぜ、そのように命名されたのかと、次の疑問が湧いてくる。「アッツ桜」なる呼称は一般化する事は無かっただろう。現地でしか見られないのだから。
現今の「アッツザクラ」は南アフリカ原産出そうだが、日本にはいつ、どこから持ち込まれたのか。正式の和名(?)が誰によって決定されるのか、持ち込んだ者(業者?)に命名権が有るのか。花の印象が似ているからと安易に「アッツ桜(ザクラ)」としたのか。
どなたか、既に究明済みかも知れないが、今のところ当方の知るところとはなっていない。