きょうは久し振りにヴォランティア・グループの高齢者在宅サービスセンター訪問コンサートに参加した。季節ごとのプログラム編成が後追いになっており、この暑さの中で春の歌を聴かせることになった。「夏は来ぬ」で辛うじて面目を保っただけ。
施設の近くでクワの実が生っているのを見付けた。これを見るのは何年振りだろう。一般に秋の歌に分類される「赤とんぼ」(三木露風/山田耕筰)の歌詞2番を思い出す:
山の畑の、桑(くわ)の実を 小籠(こかご)に摘んだは、まぼろしか
“十五で姐(ねえ)やは、嫁に行き お里のたよりも、絶えはてた”の3番と共に、“赤とんぼ”(1,4番)とは特段の関係は無いのだろうと今頃気付いたのは、思考に発展性の乏しいことの証拠か。
ギンナンの幼果が風に吹かれて舗道に落ちている。一昨日歌った「梅雨の頃」の歌詞は次の通り:
“むらさきつゆくさ つゆのころ びっしょりさきます むらさきに
おいけのみづかさ つゆのころ きんぎょもうきます うきぐさに
うめのみすずなり つゆのころ きばんでおちます くさむらに”
ウメの実の草むらに落ちているのは風情があり、詩集の題名にも採用される(落梅集)が、小さなギンナンの幼果がアスファルトの上に転がっていても詩に詠んでは貰えない。
近所のお寺の庭から拾ってきた落梅を砂糖水で煮詰めてみた。これから毒見をしよう。