コーラスに生き甲斐を感じている者から見ると、世間には理解を超える出来事が多い。所謂政治の世界がその最たる例だが、身近に起こり得る事件の報道に接して、改めて考えさせられた:
~~のマンションで6階に住むH子さん(33)が殺害された事件で、同じ階に住むU容疑者(53)=殺人未遂容疑で逮捕=が「(マンション1階で)エレベーターに乗っていたところ、後からH子さん親子が乗り込んできた」と供述していることが分かった。
その後、2人は6階の廊下で数分間会話しており、警察はエレベーターで鉢合わせになった2人が何らかのトラブルになり、直後に事件が起きた可能性があるとみている。
U容疑者は「6階の住人に監視されていた」と説明。さらに「同じエレベーターにH子さんが乗ってきた。我慢の限界だった。半殺しにしようと思った」などと供述したという。”
精神に異常を来している容疑者であるとすれば、凶行の理由ないし原因を詮索する意味もないが、日頃エレベータの乗り降りで気になっていることがある。
後から乗り込む人の為に「ドア開」ボタンを押し続けることがある。それを知りながら後から乗って来ても会釈一つしない人がいる。降りる時はまた誰かが「ドア開」ボタンを押している間に、当然のように(後入れ先出し LIFO)澄まし顔で真っ先に降りる。
そんな時には、狭い空間の雰囲気は重苦しくなるか、緊張するか、決して心地良くはない。だからと言ってトラブルが発生するというものでもないが、ひと言、謝意の表明があれば、雰囲気は和む。乗り合わせた人たちみんながいい気分で散っていく。
素直な言動の積み重ねが明るい社会、世界の平和をもたらすのだ、などと飛躍したくなる。