物みなの 底に一つの 法(のり)ありと 日にけに深く思ひ入りつつ
これが何故“平和を讃える”歌であるのか、不思議だったので、出典を探ったところ、「湯川秀樹選集 第5巻」(甲鳥書林 1956.6)に収載されていることが判った。第5巻は副題《紀行篇 旅の便りと歌》である。目次は次の通り(国会図書館デジタルコレクション):
- 第一部 / (0011.jp2)
- アメリカだより(第一信) / p3 (0012.jp2)
- プリンストンだより / p7 (0014.jp2)
- ノーベル賞受賞の報をきいて / p11 (0016.jp2)
- ストックホルムだより 湯川スミ / p16 (0019.jp2)
- 旅のノートから / p23 (0022.jp2)
- ロボット / p26 (0024.jp2)
- ハドソン河畔の秋 / p29 (0025.jp2)
- 静かな町にきて / p36 (0029.jp2)
- アメリカ大学教授の生活 / p39 (0030.jp2)
- 日本のお正月を思う / p46 (0034.jp2)
- 湖畔のつどい 湯川スミ / p63 (0042.jp2)
- イタリヤの夏の旅 / p72 (0047.jp2)
- 故国に帰つて / p78 (0050.jp2)
- そとから見た日本 / p82 (0052.jp2)
- スエーデンの思い出 / p88 (0055.jp2)
- 某月某日 / p93 (0057.jp2)
- 未知の世界を思う / p95 (0058.jp2)
- 欧米紀行(昭和十四年) / p100 (0061.jp2)
- 北海道の夏 / p119 (0070.jp2)
- 四国の秋 / p124 (0073.jp2)
- 第二部 歌集 深山木 / (0075.jp2)
- 少年の頃(十七首) / p131 (0077.jp2)
- 籠居(十七首) / p137 (0080.jp2)
- さみどり(三十一首) / p143 (0083.jp2)
- あかだも(三十二首) / p154 (0089.jp2)
- 古京の秋(三十五音) / p167 (0095.jp2)
- 比叡(四十二首) / p179 (0101.jp2)
- 大文字(三十八音) / p194 (0109.jp2)
- 夕雲(四十首) / p207 (0115.jp2)
- 水のほとり(四十九首) / p221 (0122.jp2)
- 雲のはたて(十八首) / p238 (0131.jp2)
≪第二部 歌集 深山木≫の2番目<籠居(十七首)>の冒頭の歌が「ものみなの」である。序文(1951.4)末尾に“後半は大げさにいえば歌集である。この二十年ばかりの間に、折にふれて詠んだ和歌の中から三百首あまり、大体時間的順序に従って並べて見た。~”とある。
つまり、これらの歌は、ほぼ1925~1955年ごろの作である。、「ものみなの」は、その七つ後に“昭和7年4月”の歌が有るので、それ以前の作だ。小題<籠居(十七首)>は、16番目の“旅に病んで秋近き日の札幌のこもりゐにきく馬の鈴の音”から採ったと思われる。
これら17種の中には、思索的な内容のものが目立つが、殊更に“平和”を意識したものは見当たらない。山田耕筰が、あるいは彼に作曲を依頼した関係者が、「ものみなの」を《平和を讃える三つの歌》の筆頭に置いた意図は奈辺にあるのか、測りがたい。
歌集を下っていくと、空襲、焼野が原、焼跡、トタン家(や)、家をうしなひ、などの語を含む戦禍を詠んだ一連の歌の後に、次の2首が置かれている:
原子雲
天地のわかれし時に成りしとふ原子ふたたび砕けちる今
今よりは世界ひとつにとことはに平和守れと原子身をやく
(山田耕筰が)“平和の鐘楼建立会から委嘱されて、《平和を讃える三つの歌》を作曲した(1950.8~1951.2)”(戦意昂揚の歌~山田耕筰~平和の歌 2014/9/11(木))とすると、委嘱者は「湯川秀樹選集 第5巻」(甲鳥書林 1956.6)の出版よりも前に「ものみなの」を知っていたわけだ。何らかの形で「ものみなの」が既に世に知られていたのか、湯川秀樹に自薦を求めたものか。