昨日に引き続き、東京大学五月祭の音楽鑑賞に出掛けた。きょうはタイムテーブルを事前にチェックし、朝9時10分の開演に十分余裕を持って安田講堂に入場した:
(合唱)
音楽部女声合唱団コーロ・レティツィア(鉾をおさめて、砂山、天使と羊飼い)
コーロ・ソーノ合唱団(あらしの中、風に寄せて 1)
中世ルネサンス無伴奏混声合唱団ムジカサクラ (If Ye love me, O crux ave, Dixit Maria adAngelum)
法学部緑会合唱団(Kyrie, Omagnum mysterium, おらしょ、どちりなきりしたん)
(フィロムジカ交響楽団)
ウェーバー オベロン序曲
ストラヴィンスキー 火の鳥
ブラームス 交響曲第2番ニ長調Op.73 Moves. 1,3,4
蒸し暑さは相変わらずだったが、昨日よりは凌ぎ易かった。代って気になったのは、演奏途中でのお客さんの出入りだった。昨日は合唱団の交代時にのみ入場を認めていたようだが、出ていく人を制止は出来ないようだ。このようなマナーの悪さは永遠に続くのだろう。
カメラおじさんもシャッター音を盛大に響かせて連写していた。通常の演奏会と違って、録音・撮影の禁止をしないので、行為自体は許容されるのだが、音を響かせることに罪悪感を催さないのだろうか。それにしても、合唱団の特定の被写体を狙っているとしか思えないレンズの一定した向きは、何を意味するのだろう。
今日の合唱プログラムは宗教曲が多かった。当然のようにキリスト教の音楽ばかりだ。仏教系の合唱曲もあるだろうが、魅力に欠けるのだろうか。作品がそもそも少ないことも影響しているのだろうか。
合唱団名≪ムジカサクラ≫が目に付いた。北国の《さくらの会》の兄弟分かと錯覚した。解説には“ムジカサクラ(聖なる音楽)”とあった。ラテン語でMUSICA SACRA だそうだ。機械翻訳に掛けると“宗教音楽”と訳される。
午前の後半は管弦楽でほぼ1時間を要した。器楽を特に好みはしない当方としては忍耐の限界に近い時間だ。眠気も襲ってくるのだが、丁度良いタイミングで全楽器一斉にパワー全開となったりして、結局居眠りする暇は無かった。
それに、今日気付いたのだが、大音響の管弦楽に浴していても、何か考え事に没頭していれば、あまり苦にはならないのだ。不思議なことに、音が遠ざかるのだ。心理学(生理学?)では常識に属する現象かも知れない。尤も、これでは音楽“鑑賞”とは言えないか。