先日、資料の山をかき回した時、「第二 私達の唱歌」が手に触れた。ほぼ3年前に取り上げた本だ(雪の空~犬も歩けば~陸奥の吹雪 2011/2/11(金))。“「起てよ若人」(末弘厳太郎/中山晋平)、「オリムピック選手応援歌」(齋藤龍/山田耕作)、「オリムピック応援歌」(堀内敬三)と、オリンピックの歌3曲が冒頭に連なる”と紹介した。
その1年3か月後、“ロサンゼルスオリンピック(第10回) 東京・大阪の朝日新聞は日本選手団の応援歌を公募した。当時17歳の少年斎藤龍の詩が当選し、山田耕筰が作曲を担当し「走れ大地を」の曲題がつけられた”と引用文を載せた(相澤巌夫~阪急電鉄~朝比奈隆 2012/5/1(火) )。“走れ!大地を 力のかぎり ~”の歌詞も載せた。
「オリムピック選手応援歌」と「走れ大地を」とは同一の歌だったが、その事を明記せず、“P.S. 雪の空~犬も歩けば~陸奥の吹雪”と表示するだけで済ませていた。今にして思えば、“「走れ大地を」の曲題がつけられた”筈なのに、何故「第二 私達の唱歌」では「オリムピック選手応援歌」として掲載されたのか疑問を呈してもよかった。
その答は、発売されたレコードの表題が“國際オリムピツク派遣選手應援歌(走れ大地を)”と両方併記されたことにあるようだ。それにしても、「オリムピック選手応援歌」は、中途半端な略称のように思われる。固有名詞であるなら、長くとも正確に表記するのが望ましい。尤も、当時はそのような略称が通用していたのかも知れない。
どうでも好いようなことに拘ってしまったが、ひとつの歌が異なる表題で呼ばれると、同一であると気付かないことがあり、楽譜探索人としては大変に困るのだ。