きょう3月7日はフランスの作曲家モーリス・ラヴェル(1875〜1937)の誕生日だそうだ。“フランスの”と言っても、彼は“スイス人の技師であった父とスペイン人の母のもと、スペイン国境に近いピレネー山ろくに生まれ”たとか(ヤマハおんがく日めくり)。
つまり、フランスの血は入っていないということで、他の資料によれば、“バスク地方(フランスとスペインとの国境付近)のシブールという漁港で、スイス人の機械技師の父親とバスク人の母親の間に生まれた”という。
場所についての両方の説明を総合すると“ピレネー山ろくの(フランスの)シブールという漁港”に生まれたことになる。山脈が海岸に迫る地形なのだろうか。
彼が‘Je ne souhaite pas quel'on interprète ma musique, il suffit de la jouer'と言ったと、あるサイトに書かれていた。無料サービスの機械翻訳3種で和訳した結果は次の通り:
A 『私は音楽が解釈されることを願いません、それはそれをするのに十分です』
B ‘ 私はしたくない私の音楽は、プレイするだけが解釈'
C 「私はただプレー、あなたが私の音楽を解釈したくない」
一番出来の良いのはAだが、後半部分の意味が通じない。
正解は「私の作品 を解釈しようとしないでくれ 演奏すればそれで充分なのだから。」だそうだ。実に嬉しいお言葉だ。しかし、音楽評論を生業とする人達は恨めしく思うだろう。公平に考えれば、解釈するもしないも人の自由、評論を聞くも聞かぬも自由、ということだろう。
そのラヴェルの「ツィガーヌ」(青木高志~金木博幸~鈴木慎崇 2015/2/9(月))を試聴した。幻想的なメロディーだ。いわゆる東洋的あるいはアラビア風の趣がある。現代音楽的でもある。途中からピアノが入ってきた。これを10分余りも聴かせるには、相当の演奏技量を要すると思われた。などと書くのは、ラヴェルさんのお好みに合わないのだった。