安部龍太郎「冬を待つ城」に、何と丁度一週間前に取り上げたユダヤ人東漸説(川守田英二~ナギァド・ヤラ~ヘブライ起源 2015/2/18(水))が使われていた。古代日本に養蚕の技術を伝えたのが、ヘブライ王国、ユダヤ民族の末裔たる渡来人“秦氏”であると。
彼らが養蚕の地として選んだのが南部の戸来岳の東のふもとであった(そこは戸来村であり、キリストの墓が有名である)。養蚕は、彼らの生存権を保障する重要なものであるから、その技術は代々ヘブライ語でしか伝えなかった。それが“おしら様の祭文”として残ったという。
川守田博士のライフワークであった“謎の民謡ナギァド・ヤラ”ヘブライ語説を応用したものか。南方渡来人たる大和朝廷軍がユダヤ末裔勢力を駆逐したと言うところは、朝廷ヘブライ起源の川守田説とは異なる。
「冬を待つ城」には、秋田・能代の商人である能登屋五兵衛が登場する。いわゆる廻船問屋という設定であるが、その出身地が能登とされていることから、同書の時代設定の約二百年後に活躍した銭屋五兵衛がモデルだろうと推察される。
銭屋五兵衛は幕末、加賀の商人で、(藩の黙認のもと、幕府ご禁制をかいくぐり)広域通商で財を成したと言われる。北は蝦夷地の利尻に足跡を印しているほか、南はオーストラリアにも手を伸ばしていたという伝説がある。
同書説き起こしは、秀吉の朝鮮遠征軍(文禄の役 1592-93)が半島の厳冬に悩まされ、指揮官・石田光成が不満げに九戸正実の乱の不首尾を回想する場面である。乱を長引かせて全軍に冬場の戦闘を経験させるとともに、乱後に寒さに慣れた奥州人を朝鮮遠征の人足に大量徴用する計画が九戸正実の捨て身の抵抗によって頓挫したのだ。
そこから時を遡って舞台は九戸正実の乱に変わるのだが、そのまま話は終わる。文禄の役は取っ掛かりに描かれただけであり、物足りない。少し掘り下げて話を膨らませて欲しい気がする。おしら様の祭文も、ヘブライ語起源にこじつけて“ナニャドヤラ”風に記述して貰うと一層真に迫って感じられるだろう。