“△流行唄(りうこううた)・・・・・特に書生節之唄(しょうせぶしのうた)ひやうは人により、場所(ばしょう)によって幾らかづゝの差がある、為に其何れが正しいのかゞ分からずに困って居る人も澤山あろー、新作の唄を公にする毎に其節を、略譜を以て表はしては置いたが、元来略譜は唄ひにくゝ、間違やすく、楽器に乗せても奏(し)きにくい、そこで爰に流行歌(りうこううた)本譜集を公にしたわけである、これ丈け言へば澤山である、何も言ふ事が無いのである、無いのであるから後は何も書かないのであるんである。 以上 八月中旬 神長瞭月誌”
おどけた調子であり、あまり生真面目に論評するのも大人げ無い。印刷の植字工のレベルを考慮に入れると、神長さん本人の意図した通りの文章になっていない可能性もある。
引用中、( )書きは原文では振り仮名であり、気になるものだけを付記した。“しょうせぶし”など、植字ミスなのか、当時の発音に忠実なのか、見分け難い。
字面のことはさて置き、神長さんが流行歌の作詞、作曲者名を表記しないだけでなく、“新作の唄を公にする毎に其節を、略譜を以て表はしては置いたが、~そこで爰に流行歌(りうこううた)本譜集を公にしたわけである”と明言していることに驚く。
これでは、前回書いたように、彼が本書所収の流行歌総ての作者であると称していることになる。著作権という法律上の概念を持ち出すまでも無く、社会常識に照らして不適切であると思われるが、これも時代感覚の差と言うべきか。
本書が当時どの程度売れたのか、所収流行歌の原作者ら関係者から抗議の声は出なかったのか、興味深いことだ。勿論、神長さんご本人の作品もかなり含まれているだろうから、雰囲気は緩和されていただろうと思われる。