志村先生は戦後、旧制第一高等学校に入学した。当時の校長は天野貞裕(在任 1946年2月9日- 1948年2月7日)で、入学式で次のように訓示したそうだ:
“諸君は大勢の中から選ばれた者であるから、大いに自信をもってよろしい。”
志村先生はこの言葉が気に入ったようで、天野校長は学者というより、教育者であると評価している。曰く、人を適当におだてるのは大切なことであると。
偶々この年頭、天野校長の「就任の言葉」が、一高の同窓会のような団体から配信された。その中に上記“おだて”に通じる部分がある:
“言ふまでもなく本校は天下の英才を集めてゐます。一高生たることは決して容易なことではありません。とにかくに諸君は社會における稀有の難事業を克服した人達であります。本校があらゆる分野において卓越した人材を出すことは當然であって、もし諸君のうち一人でも國家的人材となりえない人があるならば、それは能はざるにあらず、爲さざるなり、と云ふべきであります。~
諸君は一高生たる矜持を有ってゐる。これは非常に善いことで、民族としても個人としても矜持ほど重要なものはない。矜持を有つが故に一高生にふさはしくない行爲はしない、一高生たるにねうちしない心情を恥ぢる、そこから自重が生れ努力が起って來ます”
「就任の言葉」は長文で、戦後日本の精神的荒廃に鑑み、日本には文化的伝統と発展の歴史において、世界に誇るものが有り、自信を持って復興に当たるべきであると全国民に向けたメッセージの比重が高い。
志村先生も、天野校長の“おだて”だけでなく、そのような格調の高い訓示で強い印象を持ったのではないだろうか。
因みに、志村先生は、日本人の独創性欠如を公言したノーベル賞学者(日本人)を厳しく批判しており、天野校長も次のように述べている:
“ひとはしばしば日本人の獨創性を疑ふ。確かに文化の諸部門において獨創的所産の乏しいことは事實として承認されねばならぬのでありませう。けれどもこれは素質がまだ十分に開發されず、育成されてゐない爲めだと私は信ずる~”