昨日、偶々目にした京都大学広報誌《紅萠》の第17号(2010年3月)対談「インド古典の諸相 赤松明彦」に、ヴェイユなる人名を見付けた。ちょっと長いが、当該箇所を引用する:
『マハーバーラタ』の一部として紀元前後に成立したヒンドゥー教の聖典『バガヴァッド・ギーター』
(神の歌)に関する考察も注目されている。この小品は世界中で読まれ、マハトマ・ガンディーのみならず、べートーヴェン、シモーニュ・ヴェイユ、オッペンハイマーなどが愛読したことでも知られているが、現代の我々にとっても興味深いものがある。
これに注目したのは、記事内容もさることながら、“ヴェイユ、オッペンハイマー”とあったからだ。
辛口の志村先生が敬意を込めて頻繁に言及する先輩数学者にヴェイユがいる。フルネームでアンドレ・ヴェイユ(André Weil,1906年5月6日- 1998年8月6日)。これまた偶然であるが、「記憶の切繪図」では、オッペンハイマーにも言及されているのだ。
ジュリアス・ロバート・オッペンハイマー(JuliusRobert Oppenheimer, 1904年4月22日 -1967年2月18日)は、ユダヤ系アメリカ人の物理学者である。
理論物理学の広範な領域にわたって国際的な業績をあげたが、第二次世界大戦当時ロスアラモス国立研究所の所長としてマンハッタン計画を主導。卓抜なリーダーシップで原子爆弾開発プロジェクトの指導者的役割を果たしたため「原爆の父」として知られた。(ウィキペディア)
志村先生がプリンストン研究所に赴任した時、オッペンハイマーが所長だった。挨拶に行って言葉を交わしただけで、特段の感銘は受けず、どちらかと言うと不器用な人という印象だったそうだ。関係者の間でもその人柄は善く言われなかったそうだ。弟も物理学者で、志村さんは後に彼のコロラドの家を夏に2か月間借りて家族で過ごしたと書いている。
検索により、シモーニュは正しくはシモーヌだと判断した。アンドレの3歳下の妹で、若死にしたが、出版された遺稿集が高く評価され、哲学者とみなされている。
ということで、上掲対談記事と志村先生のヴェイユは一旦無関係となるのだが、調べてみると、数学者ヴェイユもバガヴァッド・ギーターを愛読していた。学生時代に既にこれを読んでおり、生涯これを友とし、重大な時の指針としたのだ。
ところで、「バガヴァッド・ギーター」とは、Bhagavad Gītā 神の詩 で、インドの宗教書の一つ、ヒンドゥー教の重要な聖典の一つである。叙事詩『マハーバーラタ』の一部であり、サンスクリットで書かれた詩編である。クリシュナと主人公のアルジュナ王子の対話の形を取る。(ウィキペディア)
また、頭記対談記事の後半で赤松氏は、“ナチス戦犯の裁判で、アイヒマンも『ギーター』について述べています。アイヒマンもオッペンハイマーも、義務としての戦い、無私の行為を語っているのです。”と述べている。『ギーター』の筋書き(教え)が大量殺戮に関わる道ならしになったと解釈できる。
領土争いの戦争をしたくないアルジュナ王子が、クリシュナ(神)の“我を捨て、持って生まれた義務を遂行すること”という説得で立ち上がる物語なのだが、これを単純に戦争肯定の教えと取ることは、当然ながら赤松氏の本意ではないだろう。
しかしながら、欧米のトップクラスのインテリ達に読まれ、大きな影響を与えていると思われる「バガヴァッド・ギーター」を、当管理人も遅まきながら読みたくなった。ヴェイユ兄妹のようにサンスクリットの原書という訳にはいかないが。
IS討伐熱が高まっている今まさに、権力者、指導者の必読書として喧伝するべきかも知れない。表面的に読むのでなく、考える材料として批判的に読むことが大切だという但し書き付きで。